ぶーってよばないで!改訂版
「こんにちは!」
引き戸を開けると、カランと鈴のような音が鳴った。
ガラス越しに並ぶ和菓子のひとつひとつが、まるで宝石みたいに光っている。どら焼きの焼き目、黄身時雨のほろほろとした黄色、みたらし団子の照り…。甘い香りが、胸いっぱいに広がっていく。

「また来てくれたの?嬉しいわね。今日は、一人?」
カウンターの奥から、おばあちゃんの声がふんわりと響く。

「そうなんです!」
「ゆっくり見ていってね。と言っても、今日もほとんど予約で出ちゃって。」
「私、もう決まっているんです!黄身時雨とみたらし団子をお願いします!」
「はい。今、お茶を淹れるから良かったら食べていかない?」
「やったー!お言葉に甘えて。」

カウンターの奥から立ちのぼる湯気が、ほのかに畳の香りと混ざって漂ってくる。清好堂では本来、お茶のサービスもイートインもしていない。それでも、おばあちゃんは特別に声をかけてくれる。その温かさが、心の奥まで染みこんでいくみたいだ。

「はいどうぞ。」
「いっただきま〜す!」
湯気の向こうに、おばあちゃんの皺の寄った手と、湯のみの縁で揺れる光が見える。

「美味しい!いつ食べても!心がぽっかぽかになる感じ!」
「うふふふ。嬉しい事を言ってくれるのね。」

おばあちゃんと話していると、胸の中のざわざわが消えて、心がやさしい色で満たされる。私も、こんなふうに誰かを温められる人になりたいな。あれ?この感覚、どこかで味わったことがあるような…。気のせいかな。

「そうだ。いつも聞こうと思って忘れちゃうのよね。あなた、お名前は?」
「私、小百合ヶ丘学園芸術コース音楽科器楽部ピアノ専攻をしています、華待真瑠璃と申します!」
「まあ⁉︎真瑠璃ちゃん。可愛いお名前ね。ピアノのお勉強をしているの⁉︎」
「はい!」

おばあちゃんの表情が、懐かしさと喜びの間でゆっくり揺れる。

「私の娘も、ピアノをずっと習っていたのよ。制服を見るだけで懐かしいわね。」
「娘さんも音楽科で⁉︎」
「ううん。娘はね、特待コースで東京大学を目指していたんだけれどね。幼稚園の頃からずっと、『夢はパパのようなお医者さんになって困っている人たちを助けたい』って。主人もとても喜んで、いつも娘の勉強をみていたわ。それがどういうわけか、高校三年生の卒業式で突然、ピアノでウィーンへ留学したいって言い出してね。」
「えー⁉︎」

おばあちゃんは遠くを見つめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「ピアノは幼稚園の頃からずっと続けていたのよ。勉強がどんなに忙しくても、絶対に辞めたくないって。大好きだったのよね。でも、うちのお父さんはお医者さんだから、娘にも医学部へ行って欲しかったのよね。」
「そうだったんですね……娘さんは今は?」
「今は、どうしているのかしらね。ウィーンから戻ってきた時に、結婚したい人がいるって連れてきてくれたんだけれどね。お父さんが反対したものだから、それから連絡が取れなくてね。もう五年前の話なのよ。」
「そんな……」

おばあちゃんの瞳に、うっすらと光が宿る。
きっと、大切な娘さんのことを思い出しているんだ。
会いたい気持ちがあふれているんだ。胸の奥が、私まできゅっと苦しくなる。

「ごめんなさいね。ついついこんな話しを。真瑠璃ちゃんとお話ししていたら、なんだか元気が湧いてきたわよ。」
「また遊びに来ても良いですか?」
「まあ、嬉しいわね!」
「これ、お代です!ここへ置いておきますね!ご馳走様でした!」
「あっ、真瑠璃ちゃん、お代はいいのよ!」
「ダメです!それじゃないと、またここへ来られないから!」

私はおばあちゃんに手を振りながら、表通りへと走り出した。背中に届くのは、微笑むおばあちゃんのまなざし。
胸の奥まであったかく満たされて、ついさっきまでのモヤモヤなんて嘘みたい。
もう大丈夫!すっかり復活したよ!
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