「硝子越しの恋」 — 届きそうで届かない距離感が、甘く苦いオフィスラブ —

最終章「誓いの夜」

 ——提案の成功から数日後。
 クライアントから正式な契約継続の通知が届き、部署は祝賀ムードに包まれていた。
 昼間の打ち上げでは、上司や同僚たちからねぎらいの言葉が次々とかけられる。
 けれど、美咲の心に一番残ったのは、神崎の短くも深い一言だった。

「——お前のおかげだ」

 それだけで十分だった。

 

 その夜。
 オフィスビルの灯りが少しずつ落ち、静まり返ったフロアに二人きりが残った。
 神崎は自席で書類をまとめ、美咲は最後のメール送信を終える。

「終わったか」
「はい」

 短いやり取りの後、神崎が立ち上がる。

「……少し、付き合え」

 行き先は、ビル最上階のラウンジだった。
 大きな窓から夜景が一望でき、ガラス越しに無数の光がきらめく。

「ここ……初めて来ました」
「たまに使う。人がいない時間帯なら、考え事にちょうどいい」

 神崎はポケットから小さな紙袋を取り出した。
 中には、シルバーのペンが入っている。
 キャップには小さく“MS”の刻印——美咲のイニシャルだ。

「契約の成功祝いだ。……これからも使え」

 胸が熱くなる。
 指先でペンを撫でながら、美咲は小さく笑った。

「ありがとうございます。……大事にします」

 ふと、神崎の視線がまっすぐに重なる。

「この数ヶ月、お前には何度も苛立ち、何度も救われた。……正直、こんなに感情を揺らされたのは初めてだ」

 低く落ち着いた声が、夜景の中で温度を持つ。
 美咲は静かに頷いた。

「私も……課長のこと、ずっと誤解してました。厳しいだけの人だと思ってて……でも、本当は誰よりも周りを見てるんですよね」

「……誤解されやすい性分だ」

「はい。でも……もう間違えません」

 神崎の口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
 そして、一歩近づき、美咲の頬に指先を触れた。

「……これからは名前で呼んでくれ」
「……りょ、亮さん」

 その呼び方が、自分でも驚くほど自然に口からこぼれた。
 神崎——いや、亮は、満足げに目を細め、美咲をそっと抱き寄せる。

「もう離さない」

 その囁きは、誓いのように静かで、確かだった。
 ガラスの向こうに広がる夜景が、二人を包み込む。
 もう、すれ違いも拗れもない——そう信じられるほどに。

 美咲は亮の胸の中で、静かに目を閉じた。
< 14 / 15 >

この作品をシェア

pagetop