「硝子越しの恋」 — 届きそうで届かない距離感が、甘く苦いオフィスラブ —

第3章「嫉妬の影」

 ——ゴールデンウィーク明け。
 連休の余韻がまだ社内の空気に残っている中、美咲は朝から落ち着かなかった。
 週末に社外研修があり、参加者は課長を含む数名。その中に宮園の名前もあったのだ。

(……ただの業務。分かってる)

 分かってはいても、胸の奥に小さな棘が残る。
 この数日、課長とは必要最低限のやり取りしかしていない。
 噂のせいで周囲の視線が気になり、自然と距離を取ってしまっていた。

 

 午前の業務中、ふと視線を上げると、課長席に宮園が立っていた。
 手には研修用の資料、口元には控えめな笑み。
 神崎は資料に目を通しながら、何か短く指示を出している。
 そのやり取りが、妙に息の合ったものに見えた。

(……いいな、ああやって自然に話せて)

 胸の奥がじくりと痛む。
 視線を逸らし、ディスプレイに向かう。
 そんなとき——。

「春川さん、ちょっといい?」
 同期の佐伯が、手にした資料を掲げた。
「この企画書、一部一緒に見てもらえないかな」

「うん、いいよ」

 並んで画面を覗き込み、意見を交わす。
 笑い合った瞬間——視界の端で、神崎の鋭い視線とぶつかった。
 何も言わずに視線を外されたが、そのわずかな間に、背筋が冷える。

 

 昼休み。
 社食で佐伯と他の同期数名で集まり、週末の予定の話題になった。

「春川さんは? どっか行くの?」
「別に……家でゆっくりかな」
「えー、もったいない。じゃあさ、今度二人で——」

「春川」

 低い声が遮った。
 振り向くと、神崎がトレーを手に立っていた。
 普段は社食に来ない彼が、なぜか今日に限って同じテーブルの端に座る。

「午後、急ぎの資料修正が入った。食べ終わったら来い」

「あ……はい」

 短いやり取りの間、同期たちの視線が妙に落ち着かない。
 佐伯は口元に笑みを浮かべながら、「じゃあまた後で」と席を立った。

 

 午後、神崎のデスク横で資料の修正作業を進める。
 肩越しに彼の視線を感じ、息が詰まりそうになる。

「……さっき、佐伯と何を話してた」

「え?」

「昼休みだ。笑ってた」

「ただの世間話です。週末どこ行くとか、その程度で——」

「……そうか」

 短い相槌。しかし、その声の奥に微かな硬さがあった。
 顔を上げたときには、もう彼は画面に視線を戻していた。

(……嫉妬、してる……? まさか)

 そんな考えが浮かんで、すぐに首を振る。
 彼は上司。ただの業務上の会話に過ぎない——はずだ。

 

 夕方。
 コピー室で印刷を待っていると、宮園が入ってきた。

「あら、春川さん。お疲れさまです」

「お疲れさまです」

「……課長、今日ずっと機嫌が微妙ですね。何かありました?」

「い、いえ……分かりません」

「まぁ、週末の研修、課長も少し緊張してるのかもしれませんね」

 軽く笑って宮園はコピーを取り、出ていった。
 残された美咲は、胸の奥で小さなざわめきが広がるのを感じた。

(週末……二人で、か)

 印刷された紙を手に、コピー室を出るとき、廊下の先で神崎と宮園が並んで歩く姿が見えた。
 その距離感は、やっぱり「仕事仲間以上」に見えてしまう。

 視界がわずかに滲み、足取りが鈍くなる。
 嫉妬だと、はっきり分かってしまった。
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