失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜

ユリウス8

「我々はお礼を言われるべき存在ではありません。そもそも納税遅延制度のことも傷病金のことも知らなかったのです。後者はともかく、前者を知らずにいたことは税務を預かる担当者として恥ずべきことです」
「あなたではないとすれば、いったいどなたが気づいてくださったのでしょう」
「ソフィア王女殿下ですよ」
「え……」

 言いながら担当者は束になった書類をユリウスに見せた。

「捕縛された高利貸しの被害にあった者は数百名に上ります。王女殿下はそのひとりひとりの債務状況を確認した上で、ひとまず利用できる補償制度を列挙され我々官僚に指示を出されました」
「ソフィア王女が……その書類の束分、すべてを、ですか」
「あの方の頭の中にはルヴァイン王国の法律が全て入っておられるそうです。こんなカビが生えたような法律すらも。天才とはああいう方のことを言うのでしょうね」

 何度も言うが、賢い姫であるという評判は聞こえていた。だが、やはり桁が違うのではないか。

「初め、今回の被害の甚大さを考慮して、国から特例支援金等を給付すべきだという意見が議会ではあがったようなのですが、ソフィア様は国外に売られた者たちの帰国支援のために予算を割くのが先決だと、非公式に意見を述べられたそうです。そのために国内の被害者への救済が遅れてしまうことを懸念して、今ある制度内で急ぎ対応をするよう、要請されたのです。そのご意見を受けて、今この案件は宰相預かりの最重要事項になっています。王女ご自身もすべての者への救済支援について、このように動かれておいでです」
「ソフィア王女がそんなことまで……」
「最後に、王太女殿下からのご伝言があります。大変申し訳ないが、今はこれで凌いで欲しいと。国外へ売られた者たちへの補償が終われば、必ず再検討するから、と」

 担当者の言葉に、見たこともない九歳の少女の姿が浮かんだ。一国の王女であるその人が、すべての被害者の状況を確認した上で、忘れ去られていた法律や制度まで掘り起こしながら、出来うる最善を尽くそうとしている。支援の優先順位を的確に判断し、後回しとなった者たちに謝罪の言葉を述べてまで。

 抑えていた熱いものが、ユリウスの両頬を伝い落ちた。

 王女が頭を下げるべき事情など何ひとつないのだ。暴利を貪るハイエナたちはもちろんだが、返済の当てもないまま借入を続けた父の判断力の無さも、本来なら責められるべきだ。

 しかしそんなことは微塵も突かれず、こうして手を差し伸べてくれている。

「ソフィア王女殿下に、お礼を申し上げる(すべ)はないのでしょうか」
「いやいやいや、一介の税務担当者にそんなこと聞かないでくださいよ。無理に決まっています。あぁでもあなたは伯爵ですから、ソフィア様が社交界デビューなさった暁には拝謁する機会もあるのではないでしょうか」

 この国における社交界デビューの年齢は十三歳から十七、八歳というところだ。王家ともなれば早い可能性がある。今九歳ならあと四年後か。

「そんなに待てません」
「いや、待てないとか、私に言われても困りますってば。私なんてしがない男爵家出の三等官僚ですから、同じ王城内で働いているとはいえ、王女殿下とお会いすることすらできません。あぁでも、お見かけするだけならすぐに出来るのでは? 王妃陛下のお誕生日が来月ですから、城のバルコニーで王族の皆様が国民にお顔を見せてくださるのが恒例でしょう。ソフィア様も毎年出ていらっしゃいますからね」

 王族の誕生日における国民への顔見せは、確かにこの国の慣例となっている行事だ。さして興味のなかったユリウスは、この一年王都に滞在していたにも関わらず参加したことがない。

「来月の王妃陛下の誕生日……」

 その日を心に刻みつけたユリウスは、再度礼を述べて立ち上がった。頬を伝う温かいものを乱暴に拭いながら、税務府の窓口を後にしようとすれば。

「あぁぁ! ランバート伯爵、お待ちください! もうひとつお伝えし忘れていました!」

 先ほどの担当者が立ち上がり、別の書類を差し出した。

「納税義務の遅延申請と併せて、こちらも利用できるんでした。領地経営の補佐をしてくれる税務管理官の派遣制度です。もし希望するなら、あなたが大学に在学している間、管理官があなたの代わりに領地に赴いて、領地経営の手助けをしてくれますよ」

 最後に慌ただしく付け足されたこの提案こそが、ランバート家を真の意味で再興させる手段となることを、このときユリウスはまだ知らない。

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