失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜
カーク2
魔獣暴走から半年後、王都でカークとエステルの結婚式が盛大に行われた。その日から三日続けて祝賀行事も開かれ、国中がこの慶事に沸いた。二人に届けられた祝いの言葉や品物は数え切れず。それらを受け取りながらカークはこの幸せな時間に酔っていた。
隣には彼が長年思い続けた少女が花嫁として寄り添ってくれている。彼女の目標は姉姫の剣となることだった。そんな彼女を微笑ましく思いながら、自分もまた彼女を追いかけて騎士団に出入りしていた子どもの頃。
見守っているだけでは駄目なのだと気付かされたのは、姉姫ソフィアが街中で暴漢に襲われたときだ。咄嗟に身体が動いてソフィアを庇うことは出来たものの、未熟な自分は軽い怪我を負い、そのショックで気を失った。
目が覚めて、ソフィア王女が無事だったと知らされた直後、カークを襲ったのは——恐怖だった。傷を負った己の姿にエステルが重なってしまったのだ。彼女が姉姫のために剣を持ち戦うなら、こんなふうに切りつけられ怪我をし、倒れてしまうこともあるということ。死に致る可能性まで過れば、今までのように微笑ましく見ていることができなくなった。
だがこうと決めたら梃子でも動かないエステルを諦めさせることはできそうもない。だったらどうするか——自分もまた騎士になればいい。姉姫を剣で守るというエステルを守る剣に、自分がなればいい。いやならねばならない。
十歳のときの決意のままにカークは騎士を目指し、順調に准騎士にまで昇格した。
だがその頃にはエステルへの思いが、ただ守りたいという騎士道に基づいた気持ちだけでは説明づけられなくなっていた。三年の騎士学校での時間の間に消えてくれたらと願った淡い思い。卒業後彼女と再会した途端、ごまかしようがないほどにはっきりと育ってしまったと気づくことになった。
相手は王女だ。自分は爵位すら持てない下級貴族出の騎士。よほどの武功を上げない限り、彼女と結ばれることは難しい。この育った思いはなんとしても隠し通さなくてはならない。
なるべくエステルと顔を合わせぬようにしたいと思っても、カークを見つけた彼女はいつだってまばゆい笑顔で走り寄ってきた。無碍に追い返すことなどできるはずもない。カークだって彼女に会えたことがこんなに嬉しいのだ。
だから己の気持ちを隠すために、エステルの頭を撫でることにした。ぽんぽん、と軽く、気持ちだけは深く。そうやって彼女のことを、頭を撫でてやる関係のかわいい妹だと思い込もうとした。
だから魔獣暴走が発生し、聖剣が自分を選んだとき——彼は笑ったのだ。諦めなければならないと思っていた、妹のような存在と思い込もうとしていた彼女に、手が届くかもしれないと思って。
聖剣を携えて訪れた南部の領地は、想像を絶する地獄だった。生まれて初めて本気の剣を振るう、その相手は人ではなく魔獣だ。理性のかけらも持ち合わせいない獣は、人を襲い、喰らい、強靭な体躯で街を破壊した。人ならざる者との戦いの心得がある騎士などひとりもいない。討伐隊が体制を整えようとする間に、数を増やして森から出てきた奴らは、領土の多くを破壊し尽くした。
戦い方を学習し一斉反撃の狼煙を上げるまでに一年以上の時間を費やすことになった。他の騎士が斬った魔獣は、放置すればまた再生してしまう。カークの持つ聖剣だけが魔獣を完全に駆逐できるものとあって、彼はいつでも最前線にいた。油断したところを魔獣に噛みつかれたことなど数えきれない。斬っても斬っても終わりが見えぬ戦いを乗り越えられたのは、この先にエステルが待っていると信じられたからだ。
自分が死ねば、魔獣は足を王都まで伸ばすだろう。そこでソフィア王女を襲えば、姉姫を庇う盾となり、エステルも倒れることになる。それだけは絶対にさせぬと、十歳のときに抱いた決意を胸に最前線に立ち続けた。
魔獣の王にとどめを刺し、すべてが終わったと実感したとき。南部の暗い森の奥で、木々の隙間から覗く空の色がやけに綺麗だと感じた。魔獣を追っている間は鬱屈した嫌な場所だとばかり感じていた森の色が一変して、穏やかな深い緑を湛えていた。
あぁ、エステルの髪の色だと、カークは思った。清々しい空気を吸い込めば、日向のような彼女の匂いまでした。
(エステル、君に届いたよ——)
役目を終え光を失った聖剣を胸に抱きしめ、カークは希望を噛み締めた。
隣には彼が長年思い続けた少女が花嫁として寄り添ってくれている。彼女の目標は姉姫の剣となることだった。そんな彼女を微笑ましく思いながら、自分もまた彼女を追いかけて騎士団に出入りしていた子どもの頃。
見守っているだけでは駄目なのだと気付かされたのは、姉姫ソフィアが街中で暴漢に襲われたときだ。咄嗟に身体が動いてソフィアを庇うことは出来たものの、未熟な自分は軽い怪我を負い、そのショックで気を失った。
目が覚めて、ソフィア王女が無事だったと知らされた直後、カークを襲ったのは——恐怖だった。傷を負った己の姿にエステルが重なってしまったのだ。彼女が姉姫のために剣を持ち戦うなら、こんなふうに切りつけられ怪我をし、倒れてしまうこともあるということ。死に致る可能性まで過れば、今までのように微笑ましく見ていることができなくなった。
だがこうと決めたら梃子でも動かないエステルを諦めさせることはできそうもない。だったらどうするか——自分もまた騎士になればいい。姉姫を剣で守るというエステルを守る剣に、自分がなればいい。いやならねばならない。
十歳のときの決意のままにカークは騎士を目指し、順調に准騎士にまで昇格した。
だがその頃にはエステルへの思いが、ただ守りたいという騎士道に基づいた気持ちだけでは説明づけられなくなっていた。三年の騎士学校での時間の間に消えてくれたらと願った淡い思い。卒業後彼女と再会した途端、ごまかしようがないほどにはっきりと育ってしまったと気づくことになった。
相手は王女だ。自分は爵位すら持てない下級貴族出の騎士。よほどの武功を上げない限り、彼女と結ばれることは難しい。この育った思いはなんとしても隠し通さなくてはならない。
なるべくエステルと顔を合わせぬようにしたいと思っても、カークを見つけた彼女はいつだってまばゆい笑顔で走り寄ってきた。無碍に追い返すことなどできるはずもない。カークだって彼女に会えたことがこんなに嬉しいのだ。
だから己の気持ちを隠すために、エステルの頭を撫でることにした。ぽんぽん、と軽く、気持ちだけは深く。そうやって彼女のことを、頭を撫でてやる関係のかわいい妹だと思い込もうとした。
だから魔獣暴走が発生し、聖剣が自分を選んだとき——彼は笑ったのだ。諦めなければならないと思っていた、妹のような存在と思い込もうとしていた彼女に、手が届くかもしれないと思って。
聖剣を携えて訪れた南部の領地は、想像を絶する地獄だった。生まれて初めて本気の剣を振るう、その相手は人ではなく魔獣だ。理性のかけらも持ち合わせいない獣は、人を襲い、喰らい、強靭な体躯で街を破壊した。人ならざる者との戦いの心得がある騎士などひとりもいない。討伐隊が体制を整えようとする間に、数を増やして森から出てきた奴らは、領土の多くを破壊し尽くした。
戦い方を学習し一斉反撃の狼煙を上げるまでに一年以上の時間を費やすことになった。他の騎士が斬った魔獣は、放置すればまた再生してしまう。カークの持つ聖剣だけが魔獣を完全に駆逐できるものとあって、彼はいつでも最前線にいた。油断したところを魔獣に噛みつかれたことなど数えきれない。斬っても斬っても終わりが見えぬ戦いを乗り越えられたのは、この先にエステルが待っていると信じられたからだ。
自分が死ねば、魔獣は足を王都まで伸ばすだろう。そこでソフィア王女を襲えば、姉姫を庇う盾となり、エステルも倒れることになる。それだけは絶対にさせぬと、十歳のときに抱いた決意を胸に最前線に立ち続けた。
魔獣の王にとどめを刺し、すべてが終わったと実感したとき。南部の暗い森の奥で、木々の隙間から覗く空の色がやけに綺麗だと感じた。魔獣を追っている間は鬱屈した嫌な場所だとばかり感じていた森の色が一変して、穏やかな深い緑を湛えていた。
あぁ、エステルの髪の色だと、カークは思った。清々しい空気を吸い込めば、日向のような彼女の匂いまでした。
(エステル、君に届いたよ——)
役目を終え光を失った聖剣を胸に抱きしめ、カークは希望を噛み締めた。