失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜
カーク5
「カーク、どういうことなの!」
侍女が下がった途端、カークはエステルに詰め寄られた。
「南部はすべて……こんな状態なの?」
「ごめん、俺の確認不足だった。ここまで復興が追いついていないとは思っていなかったんだ。エステルには酷いものを見せてしまったと反省して……」
「酷いものだなんて言い方しないで。確かに、最初の街の状態は悲惨だから酷いのはそうなんだけど、でも私に見せるべきものじゃなかったなんて言わないで。その言葉の方がよっぽど酷いわ」
「エステル……」
彼女がなぜ憤りを感じているのか、カークにも理解できた。華やかな王宮や王都とは違う、荒れ果てた領地とそこに住む人々を目にして、憐憫の情が湧いたのだろうと。王家は南部に最優先で予算を割いているわけで、それをもってしてもこの状況というなら、王家の威信にも関わる話だ。
ただ、心のどこかで不思議に感じる部分もあった。憐れむのはわかるし、復興が追いついていないことを詰りたくなるのもその通りだろう。だが、それにしては彼女の怒りの方向がどうにも奇妙だ。
自分は困惑した表情をとっていたのかもしれない。エステルは珍しく琥珀色の瞳を鋭くした。
「カークはロータス伯爵家に養子に入るのよね」
「あ、あぁ」
養子縁組の手続きを取るのはこれからだが、間違いない事情に頷けば、エステルがさらに迫った。
「だったらカークが最優先すべきはロータス領の復興よ。私にドレスを着せることじゃないわ」
「エステル、君が訓練着を着たいというなら、俺は止めはしないから大丈夫だよ」
「そういうことじゃないの。あなたが私に言うべきことは、ほかにあるでしょう? ロータス領が以前のような土地に戻れるよう、自分に力を貸して欲しいって、そう命じるのが領主代理の役割よ」
「エステル、なんてことを言うんだ。君に命じるなんて、そんなことできるわけないだろう」
自分と結婚したことで王族籍を抜けることになったエステルは、確かに名実共にカークの妻である。この後カークの養子縁組手続きがすめば、ダンフィル侯爵夫人にロータス伯爵令息夫人の肩書きも加わることになる。
だが肩書きが変わったとして、彼女が元王女だったことまでがなくなるわけではない。半年後に結婚が決まっているソフィア王女に子どもが生まれるまでは、エステルが王位継承権二位のままだ。そんな身分のある妻に命令などできるわけがない。身分がなかったとしても、カークはエステルに何かを命じるような、そんな関係を結びたいとは思っていなかった。
「君が望むことはなんでも叶えたいと思っている。でも、命じることだけは絶対にできない」
「じゃあお願いでもなんでもこの際いいわ。外面がどうでも中身が整っていればいいもの。カーク、教えてほしいの。私はいったいここで何をすればいいの? ソフィアお姉様にみたいに帝王学を学んでいたわけじゃないから、私には何も知識がないのよ」
「もしかして伯爵夫人としての仕事のことを言ってるのか? だったら後々執事に頼んで教えてもらえるよう手配するよ。ロータス伯爵の奥方は亡くなっているし、ご子息の妻も実家に戻っているそうだから、彼女たちから直接教わることはできないだろうが……」
「それも大事なことだけど、そうじゃなくて! 私もロータス領の復興のために何かしたいの。とりあえず今すぐ思いつくのは、あの無駄に長くて大量の花嫁行列道具を王都で売り捌いてお金を稼ぐことなんだけど」
「待て、ちょっと待ってくれ。あれは両陛下とソフィア様からの贈り物だ。売り捌くなんてそんな恐れ多いこと、頼むから言わないでくれ、絶対に」
先ほど震えながら部屋を出ていった侍女の気持ちが今になってわかり顔を青くすれば、エステルは何やら思案顔になった。
「ドレスだけじゃなくて家具とか本もいっぱいあったでしょ? 少しぐらい減ってもバレないと思うのよね。でも、さすがに王都の質屋に出回ったら足がついちゃうかしら。だったら道中にあった他の大きな都市なら……」
「エステル、頼むから、本当にお願いだから、運び込むだけはさせてほしい!」
足がつくなんていったいどこで憶えたのだ。しかも王都でなく別の都市ならという発想も的を得過ぎていて恐ろしい。
このまま放置すれば、自分は妻に嫁入り道具を売らせた不甲斐ない男というレッテルが貼られてしまう。さっきの侍女に言って早急に荷物を運ばせよう、きっと全力で協力してくれるはずだと、心の中で算段をつける。
「エステル、復興予算は十分確保されているはずだ。だから君が花嫁道具を売り払う必要はない」
「でも、それならなんでさっき通ってきた街にはまだ家屋が再建されていないの? 麦の作付けだって、本当なら間に合っていたはずよね」
「それは……」
エステルの言う通り、昨年の夏には魔獣たちを駆逐し終えていた。秋に行うはずの種蒔きがされていなかったことはおかしいと言えばおかしい。
「王城から執政官がすでに派遣されているはずだから、事情を聞いてみるよ。わかったら報告するから、エステルは休憩しててほしい」
「だから、私は休まなくても大丈夫だから。事情を聞きに行くなら一緒について行くわ」
「いや、しかし……」
口では大丈夫と言いながらも、彼女は生まれて初めての数週間に渡る馬車の旅をこなしてきたばかりだ。疲れていないはずがない。だが言い出したら絶対に曲げないエステルの性格もこれ以上ないほど知っていた。
「わかった。ただ、ひとまずお互い旅装くらいは解こう。この格好で挨拶するのはさすがに失礼に当たるよ」
そう説得して、なんとか湯浴みと着替えを納得させた。
侍女が下がった途端、カークはエステルに詰め寄られた。
「南部はすべて……こんな状態なの?」
「ごめん、俺の確認不足だった。ここまで復興が追いついていないとは思っていなかったんだ。エステルには酷いものを見せてしまったと反省して……」
「酷いものだなんて言い方しないで。確かに、最初の街の状態は悲惨だから酷いのはそうなんだけど、でも私に見せるべきものじゃなかったなんて言わないで。その言葉の方がよっぽど酷いわ」
「エステル……」
彼女がなぜ憤りを感じているのか、カークにも理解できた。華やかな王宮や王都とは違う、荒れ果てた領地とそこに住む人々を目にして、憐憫の情が湧いたのだろうと。王家は南部に最優先で予算を割いているわけで、それをもってしてもこの状況というなら、王家の威信にも関わる話だ。
ただ、心のどこかで不思議に感じる部分もあった。憐れむのはわかるし、復興が追いついていないことを詰りたくなるのもその通りだろう。だが、それにしては彼女の怒りの方向がどうにも奇妙だ。
自分は困惑した表情をとっていたのかもしれない。エステルは珍しく琥珀色の瞳を鋭くした。
「カークはロータス伯爵家に養子に入るのよね」
「あ、あぁ」
養子縁組の手続きを取るのはこれからだが、間違いない事情に頷けば、エステルがさらに迫った。
「だったらカークが最優先すべきはロータス領の復興よ。私にドレスを着せることじゃないわ」
「エステル、君が訓練着を着たいというなら、俺は止めはしないから大丈夫だよ」
「そういうことじゃないの。あなたが私に言うべきことは、ほかにあるでしょう? ロータス領が以前のような土地に戻れるよう、自分に力を貸して欲しいって、そう命じるのが領主代理の役割よ」
「エステル、なんてことを言うんだ。君に命じるなんて、そんなことできるわけないだろう」
自分と結婚したことで王族籍を抜けることになったエステルは、確かに名実共にカークの妻である。この後カークの養子縁組手続きがすめば、ダンフィル侯爵夫人にロータス伯爵令息夫人の肩書きも加わることになる。
だが肩書きが変わったとして、彼女が元王女だったことまでがなくなるわけではない。半年後に結婚が決まっているソフィア王女に子どもが生まれるまでは、エステルが王位継承権二位のままだ。そんな身分のある妻に命令などできるわけがない。身分がなかったとしても、カークはエステルに何かを命じるような、そんな関係を結びたいとは思っていなかった。
「君が望むことはなんでも叶えたいと思っている。でも、命じることだけは絶対にできない」
「じゃあお願いでもなんでもこの際いいわ。外面がどうでも中身が整っていればいいもの。カーク、教えてほしいの。私はいったいここで何をすればいいの? ソフィアお姉様にみたいに帝王学を学んでいたわけじゃないから、私には何も知識がないのよ」
「もしかして伯爵夫人としての仕事のことを言ってるのか? だったら後々執事に頼んで教えてもらえるよう手配するよ。ロータス伯爵の奥方は亡くなっているし、ご子息の妻も実家に戻っているそうだから、彼女たちから直接教わることはできないだろうが……」
「それも大事なことだけど、そうじゃなくて! 私もロータス領の復興のために何かしたいの。とりあえず今すぐ思いつくのは、あの無駄に長くて大量の花嫁行列道具を王都で売り捌いてお金を稼ぐことなんだけど」
「待て、ちょっと待ってくれ。あれは両陛下とソフィア様からの贈り物だ。売り捌くなんてそんな恐れ多いこと、頼むから言わないでくれ、絶対に」
先ほど震えながら部屋を出ていった侍女の気持ちが今になってわかり顔を青くすれば、エステルは何やら思案顔になった。
「ドレスだけじゃなくて家具とか本もいっぱいあったでしょ? 少しぐらい減ってもバレないと思うのよね。でも、さすがに王都の質屋に出回ったら足がついちゃうかしら。だったら道中にあった他の大きな都市なら……」
「エステル、頼むから、本当にお願いだから、運び込むだけはさせてほしい!」
足がつくなんていったいどこで憶えたのだ。しかも王都でなく別の都市ならという発想も的を得過ぎていて恐ろしい。
このまま放置すれば、自分は妻に嫁入り道具を売らせた不甲斐ない男というレッテルが貼られてしまう。さっきの侍女に言って早急に荷物を運ばせよう、きっと全力で協力してくれるはずだと、心の中で算段をつける。
「エステル、復興予算は十分確保されているはずだ。だから君が花嫁道具を売り払う必要はない」
「でも、それならなんでさっき通ってきた街にはまだ家屋が再建されていないの? 麦の作付けだって、本当なら間に合っていたはずよね」
「それは……」
エステルの言う通り、昨年の夏には魔獣たちを駆逐し終えていた。秋に行うはずの種蒔きがされていなかったことはおかしいと言えばおかしい。
「王城から執政官がすでに派遣されているはずだから、事情を聞いてみるよ。わかったら報告するから、エステルは休憩しててほしい」
「だから、私は休まなくても大丈夫だから。事情を聞きに行くなら一緒について行くわ」
「いや、しかし……」
口では大丈夫と言いながらも、彼女は生まれて初めての数週間に渡る馬車の旅をこなしてきたばかりだ。疲れていないはずがない。だが言い出したら絶対に曲げないエステルの性格もこれ以上ないほど知っていた。
「わかった。ただ、ひとまずお互い旅装くらいは解こう。この格好で挨拶するのはさすがに失礼に当たるよ」
そう説得して、なんとか湯浴みと着替えを納得させた。