失恋するまでの10日間〜妹姫が恋したのは、姉姫に剣を捧げた騎士でした〜

カーク19

 その後もロータス元伯爵が危篤状態となったり、農作物の不作や街同士の諍いがあったりと、王都に上がる時期に何かとトラブルが重なってしまい、エステルもカークも王都に向かうことができず、あっという間に十年の月日が流れた。その間にソフィアの南部視察の計画が何度か立てられたものの、その都度他国からの王族の訪問が重なったり、重要な国際会議が入ったりして悉く取りやめになった。

 次こそは必ずと願ったソフィアの南部入りが、彼女の第四子の懐妊で再び流れたとき、カークはこれが彼の策略だと確信した。そう、今やソフィアの夫として公爵位を持ち、ソフィアと並んで殿下と称されるユリウス・ランバートその人だ。

 この十年の間、王城で南部の復興の旗を振っていた彼と、カークは何度も手紙を通じてやり取りすることになった。やり手の元宰相補佐と、領主としてはひよっこの自分では力量の差があるのは当前のこと。初めこそ彼を敬い素直に意見を聞いていたが、彼から返ってくるのはあまりに厳しい内容ばかりで、ずいぶん疲弊させられた。

 たとえば魔獣暴走(スタンピード)の渦中に、ロータス領では魔獣を駆逐するため森を切り開く施策を取り入れていた。そのとき切り倒された木材が大量に余っていたため、カークはこの木材を利用して、倒壊した家屋の再建をする計画を立てた。執政官を通じてその案を王都に提出し、予算を組んで取り掛かろうとしたところ、ユリウスから返ってきたのは「木材で家を建てるなど狂気の沙汰。火事が起きればすべて燃え尽くして大災害になると少し考えればわかるだろう。木材は木材として家具や冬場の薪として有効に使え」とばっさり突き返された。

 また来年こそは麦の作付けをと、耕作人を募集しようとすれば、「どうせなら耕す前に区画整理でもしてまともな道をつけろ。もともと飛地の農地が多い南部なのだから、壊滅状態の今を利用して将来性の高い再建をするのが賢さというものだろう。先を見据えた復興案を上げてこい」と、やるべきことを倍にして返される始末。さすがのカークも腹に据えかねることが何度もあったが、向こうの方が立場は上。加えて指示が的確なだけに反論のしようもない。この頃には彼が自分に感謝しているなどというエステルの話も何かの間違いだろうと記憶から抹消し、ひたすら領地改革に勤しんだ。

 そうして揉まれながら、あっという間に十年。

 エステルは最初の年に身籠った子どもを流産して以降、懐妊の兆しがなかった。ソフィアに三人目の男の子が誕生したとき、「お姉様の子どもを養子にもらうっていう手もあるわよね」と、出産を知らせる手紙を読みながら呟いた。十七で花嫁となったエステルは二十七歳。子どもを諦める年齢ではないが、こればかりは授かり物であり、カークも励ましようがなかった。

 そんなエステルの十年越しの懐妊の知らせである。泣きながら愛しい妻を抱きしめたカークだったが、突如として我に返った。

「エステル! 大変だ、今すぐベッドで休まなきゃ!」
「カークってば落ち着いて。別に病気じゃないから、普通にしてても平気だってお医者様も言ってるし」
「何かあってからは遅いんだ! 君は今日から外出禁止だし、部屋からも出ないで。食事も全部運ばせるから!」
「大袈裟よ。そりゃ、馬に乗るのとか外出とかはしばらく控えなくちゃだけど」
「馬も外出も絶対駄目だ! あ、歩くのだって禁止だ。俺が運ぶから!」

 足を地に着けさせることさえもってのほかとエステルを抱えれば、彼女が首に腕を回して彼の名を呼んだ。

 そのまま額をこつんと合わせてお腹に手を当てる。

「ねぇ、きっとこの子は待ってたんだと思う。私たちがちゃんとこの地を復興させるのを。それが出来たから、満を持して生まれてきてくれるのよ」

 エステルが瞳を上げた先に広がるのは、カークが三年かけて区画整理をした麦畑だ。エステルが各地を回っている間に、カークは執政官と共に王都と協力しながらロータス領全体の改革に取り組んだ。バラバラな造りだった船着場の設計を統一したことで、修理にかかる人員と手間を削減し、貿易業は前よりも収益を上げるまでになった。ユリウスの言を受けて、飛地となっていた畑をまとめ、農道を通し、主要街道沿いに備蓄庫をまとめて建設して出荷の利便性を向上させた。広くなった街道と利便性が高まった水路を使って、復興から五年目には以前のように麦を他領に出荷できるまでに回復させた。流通を促進するために商人に許可証を発行し、関税の優遇措置と引き換えに物資の優先的な買い付けの約束を取り付けた。これにより必要な資材が多く手配できるようになり、復興の速度は格段に上がった。

 魔獣暴走(スタンピード)の爪痕が完全に消え去ったとは言えない。犠牲になった領民や騎士たちの追悼式が毎年開かれるたび、誰もがあの脅威を思い出す。

 だが人々は流した涙を拭ったその手で、その足で、翌日にはまた動き出す。かつてラムネに胸躍らせた子どもたちが大きくなり、結婚して、子を産み育てている。

 失った命の代わりはない。それでも新たな命が芽生えることはかけがえのない喜びであり、すべての者たちにとっての希望だ。今また宿った新たな希望を前に、カークは瞳を震わせた。まだ目立たないお腹を大事にさすりながら微笑む妻に、自分はいつだって頭が上がらない。

 いつか彼女の隣に並び立てることを夢見ていた。そのためだけに剣を振るい、夢中で駆け上がってきた。

 だが、彼女はいつでも自分の先を行く。届いたと思った手をすり抜けて、さらに遠くへと駆けていく。

 彼女を追いかけて、自分はずいぶん遠くまで来てしまったなと思う。豊かになった領地を前に、この黄金色の風景も、澄み切った空も、遠く広がる深い森も、すっかり嗅ぎ慣れた初夏の風も、エステルがいたからこそ知ったものだと丁寧に噛み締める。

 ———君を一生追いかけられることが、こんなにも嬉しい。

 ダンフィル侯爵の肩書きも持つカークだが、この十年間、その名を名乗ることはなかった。エステルと作り上げたこの土地こそが彼のすべてであり、ロータスの名前こそが守り育てるものだと実感していた。

 まだ明るい夕方の景色を眺めながら、生きとし生けるものすべてに感謝する。愛する妻の額にキスをしながら、腕の中でくすぐったそうに身じろぎする彼女を、大切に、この上なく大切に思うのだった。



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