愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 龍志はしっかり寝ているだろうか――起こさぬよう、自分に当てられた奥の部屋に戻ろうと、季音は静かに襖を開けた瞬間だった。
 すぐに映った光景に、季音は目を大きく見開く。

 龍志は起きていた。書き物机に向かって何かをいそいそと書いている。だが、季音が戻ってきたことに気づくと、彼は筆を(すずり)に置き、目を向けた。

「おかえり」

 いつも通りの低く平らな声でそう告げると、彼は僅かに笑んだ。だが、その顔は血の気がなく蒼白で、季音はすぐに龍志に駆け寄り、彼の腕を問答無用で掴んだ。

「何をなさってるのですか! 大人しく寝ていてください!」
「別にあのくらいは大丈夫だ」

 何が大丈夫だ。あんなにも吐血していたというのに……。

 布団の敷物は新しく清潔なものに変わっていたが、古びた畳には飛び散った血の痕がまだ残っている。季音は龍志を強引に引きずり、布団に無理やり寝かしつけた。
 とどめとばかりに顎までしっかり掛け布団をかけた。すると彼は、肩をわなわなと震わせ、噴き出すように笑い始めた。

「阿呆。貧血な上、精気が薄いんだ。手荒に寝かすなよ」
「あんなに血を吐いておいて起きてる方がおかしいですよ。急ぎの書き物じゃなければ元気になってからにしてください」

 しかし、そうさせたのは自分に責任がある。自分のせいであって、自分のせいではない。詳しく言えないが……思うほどに季音の顔は曇った。

「ごめんなさい、無意識とはいえ私のせいです」

 ただ謝ることしかできなかった。季音は深く謝罪したが、龍志は「だから別に良い」と言って、鼻から息を抜くように笑んだ。

「私も自分でも分からないのです。ごめんなさい」

 再び謝罪すると、彼は横たわったまま首を振った。

「なぁ、季音……お前さ、何か隠していないか?」

 布団から血の気のない無骨な手を出して、彼は傍らに座する季音の手を握った。黒々と澄んだ瞳を向けて彼は尋ねた。

 その言葉に、季音の胸の奥が冷たく締め付けられるようだった。暑くもないのに顎から汗がぽたりと滴り、真っ新な布団に落ちた。

 言葉を返すこともできず、季音はただ藤の簪を握りしめ、震える指でその冷たい感触を確かめた。

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