愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 何事かと飛び起きて駆けつけた詠龍の顔は、蒼白に凍りついていた。なにしろ、その時には藤香の姿はもはや人でなく、大きな雪白(せっぱく)の獣そのものだった。藤色の狐火をまとい、(ふじ)色の瞳の周りに朱の紋様が浮かび、尾はみるみる九本に分かれていく。

 ――見つけた。

 詠龍に爪を立て、真っ先に彼を殺そうとした。だが、詠龍は獅子と(いぬ)の二体の神獣の式を呼び出し、変わり果てた藤香と対峙した。

 破壊の衝動は、獅子を殺してもなお収まることなく燃え盛った。社を飛び出し、沢を下って狸の妖の群れに襲いかかり、山の妖を次々に打ちのめし、いくら血を浴びても満足せず、人の里へ下りて一晩中暴れ回った。

 やがて、夜が明ける頃、ようやく心がわずかに()ぎ、暁の光の中で詠龍が再び藤香の前に現れた。そして、彼の手によって、この身は(ほこら)に封じられた。

 頭に流れ込む情景に、季音は目を大きく(みは)り、身体を震わせた。信じ難いが、これが全てなのだろう。これが自ら背負った(ごう)に違いない。そして、恐らく自分を完全に滅することが、龍志の背負った輪廻の宿命なのだろう。

 それでも彼は季音を愛してくれた。こんな姿になっても、藤香そのものである季音を、全身で抱きしめてくれた。いつも真っ直ぐに向き合ってくれた。その真実を理解した瞬間、涙が止めどなく溢れ、止まることはなかった。

 こんな運命はあまりにも酷い。あまりにも残酷だ。だが、この災いは無力で神頼みに縋るしかない脆弱な自分が招いたものに違いない。

 しゃくり上げながら嗚咽を漏らす季音は、激しく門を叩いた。

 自分の叫びが届いているはずだと信じながら、季音は言葉にならない叫びを上げ、門を叩き続けた。だが、その門は無情にも微動だにしなかった。

「出して……! 返して! 私の身体を返してよ! 私の龍志様に酷いことをしないで!」

 ――お願いだから返して。

 季音は懐から御札を取り出し、握りしめた。

 吉河神社の縁起物――彼の亡き父に貰ったものだ。想いはいくらあれど、無力な自分はやはり祈ることしかできない。

 再び脳裏に浮かぶ白き獣の姿。季音はその名をふと思い出した。
 まことの名は自分と同じ藤の名を持つ――藤夜(ふじよ)と。

「藤夜様、開けて……! 私の身体を返して!」

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