愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 季音は御札をくしゃくしゃになるほど握りしめた、そのときだった。藤色の炎が自分の手から溢れんばかりに燃え上がり、札を燃やした。その須臾(しゅゆ)――立ちはだかる門は桜吹雪を舞い上げて開いた。

 ***

 我に返ると、見慣れた龍志の寝室だった。朝を迎えたのか、障子の隙間から朝の淡い陽光がこぼれていた。

 いつも通りの、穏やかな朝の情景。だが、この部屋いっぱいに漂う臭いは、むせ返るほどの血の香り。

 静謐(せいひつ)に包まれた部屋の中、自分の下からか細い息の音が聞こえてきた。季音が視線を下ろす――そこには、龍志が血塗れになって横たわっていた。

 背筋が凍りついた。自分が……否、藤夜が何をしたのか想像するのも恐ろしかった。

「……龍志様?」

 季音は急いで彼から退いた。

 まるで虫の息のようだった。どこで呼吸をしているかも分からない、彼の喉からか細い音が漏れていた。季音の声に促されるように、龍志は緩やかに瞼を持ち上げ、黒々と澄んだ黒曜石の瞳を開いた。しかし、その瞳には今、生命力が微弱にしか感じられず、死の影さえ見えた。

「季音……だよな?」

 静かに問われ、季音は小さく頷いた。身体の震えが止まらない。それなのに、これまでまとわりついていた気だるさが、まるで霧が晴れるように消え去っていた。

 そのとき、季音は自分が何かを強く握りしめていることに気づいた。ふと視線を右手に落とすと、血に濡れた(ふじ)の簪がそこにあった。

(まさかこれで、私は彼を……)

 季音の顔が強ばり、思わず簪を投げ捨てた。カツンと襖に当たる音が、静寂に包まれた部屋に無情に響き渡った。

「季音……」

 聞き取るのもやっとの細い声で、彼はもう一度自分の名を呼んだ。何か言いたいのだろう。季音は畳に震えた手をつき、彼の口元に耳を寄せた。

「……蘢に朧。あと、タキを呼んできてくれ。お前は少し社から離れていろ。社を出て、東に進んで山を三つ超えろ。そこは何もない。妖も人もいない、硫黄臭い火山地帯がある。雨風も(しの)げる洞窟もあっただろう。俺の精気も食ったし、あと三日ほど頑張れるか? ……お前は、俺が来るまで、そこで大人しく待っていろ。必ず迎えに行く」

 血の気のない唇を動かすほど、彼の唇から血が漏れた。それでも構わずに彼は言葉を続けた。

< 114 / 145 >

この作品をシェア

pagetop