愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 悍ましい程の瘴気が満ち溢れた。藤色の魂は無数の腕を伸ばす――その刹那、辺り一面が血のように赤々と染まった。

 咲き誇るその赤は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。幻術だろう。

 瘴気を放ちながらも咲き誇る彼岸の花。頭上には白銀の蝶が鱗粉をまき散らし、飛び交っていた。やがて、鱗粉は一カ所に集まり、藤色の瞳を光らされた雪白(せっぱく)の九尾の狐が姿を現した。

「お瀧ちゃん、もういいわ。大丈夫、あとは一人で行ける」

 季音はそう言うと、肩を貸す彼女から離れ、ゆったりと歩み出す。

 狐は、牙を剝き出し、涎を垂らして、恐ろしい形相(ぎょうそう)だった。
 だが、彼女の本来の姿を見て、季音は素直に美しいと思えた。
 秋の夜風に靡く九本の尾は、誇り高き瑞獣(すいじゅう)の証――いや、彼女は神の成れの果てか。それでもこうも高貴で麗しい。
 
 蘢も朧もタキも、立ち込める瘴気に戦慄しながら身構える。牙を剥き、爪を振り、刀を握りしめて、九尾の狐と化した藤夜を囲む。その鋭い眼差しは、迫りくる脅威に備えていた。
  季音は、満開の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の群生を踏みしめ、おぼつかない足取りで藤夜に歩み寄る。
 周囲を覆う赤い花の海が、不気味な熱気の中で揺れ、季音の心をわずかにざわめかせた。
「藤夜様、素晴らしい文と歌をありがとう。この前も言ったように、私は貴女を許せない。だけど、私たちはきっと共犯だから……咎める資格もない。だから、謝らないで。どうか、藤夜様。高慢なままでいてください」

  藤夜は牙を剥き、季音を鋭く睨む。だが、襲いかかる気配はなく、ただ凄みを帯びた視線で見据えるだけだった。

「あと、もう一つお願いがあります。身分が違っても……私の友になってください。そして、黒羽を見守る神に戻ってほしい。二度と会えないのは寂しいけれど、私は余生も貴女に見守られたい。お願い、藤夜様」

  季音は震える手で、(ふじ)の簪を藤夜の口元に差し出す。

「これは藤香だった私の宝物。でも、今の私は季音という宝のような名前を持っています。貴女に憑かれたから知れた外の世界、できた友、龍志様と歩めた季節、そして何よりの宝物を授かった。同じ花の名を持つ貴女に、友の証として、感謝の礼として捧げます。どうか受け取って、心を鎮めてください」

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