愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 ハッと一匹だけ残った(いぬ)の方を向けば、睨まれているような錯覚さえ覚えた。

「ごめんなさい」 

 思わず溢れ落ちた言葉は謝罪だった。 
 けれど、言った自分でさえ、いったい何に謝ったのかはわからない。何かやましいことをした覚えはない。 

 確かに妖という〝卑しい身分〟で神を護る誇り高き獣をじろじろ見てしまったことは不敬にも値するだろう。
 たとえ、その中に魂が宿っていないとしても良くないことだとキネは思った。 

 ──この場所にこれ以上いるべきではないだろう。 彼女は即座に(いぬ)に背を向けて走り出した。


 崩れ落ちそうな鳥居をくぐり抜ければ、見えない程下の方まで苔が生い茂った石段が続いていた。
 下降すれば山を降りてしまうことになる。彼女はすぐに階段から外れて、斜面のきつい竹林を手をついて昇り始めた。 

 位置はよくわからない。だが、だいぶ麓の方だとは憶測が立つ。
 兎に角、上へ上へと昇っていけば、きっと知っている場所に辿り着くだろう。

 そんな風に思って、キネはがむしゃらになって急斜面を昇った。 

 心臓が痛い程に高鳴ったままだった。ましてや、ひと月以上もろくに動いていなかった所為もあって、身体が鈍っていたのだろうか。
 すぐに息が上がってしまい、彼女は少し昇った後に抱きしめるように竹を掴んで背で息を吐き出した。 

 その途端、キネのピンと立った狐の耳は物音を察知してピクリと動いた。 
 得体の知れぬ気配だった。何者かに尾行されている──それに感づいて、彼女の肩はたちまち戦慄いた。 

 龍志はまだ帰っていないはずだ。だから彼ではないだろう。それに自分は獣同様に自分は鼻が利く。彼の匂いははっきりと覚えているもので、彼ではないとすぐに理解した。 

 だが、追ってくる存在に匂いなんてない。
 後方を振り向いたが誰もおらず、静謐に静まり返った竹林が広がっているだけだった。

 どこか安堵してキネは一つ息を吐き出した。きっと焦りから来る勘違いだろうか──と、思った矢先だった。 
 何か金属質な音を聞いた。ふと、視線を落とせば、自分の首筋に金属質な鋭い輝きが映った。ハッとしたキネは視線をゆっくりと下方へ落とせば短刀が宛がわれていた。
 やはり間違いではなかった。それを改めて確信すると、たちまち身が強ばるように戦慄きキネは息を殺して横を向く。 
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