愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 彼のこの姿勢は先程も見た。恐らく、地割れの如く直線状に刃にも似た岩の柱を地面から突き出す大がかりな妖術だ。間髪入れずにまさにそれをけしかけた――それと同時だった。

 タキの姿がみるみるうちに元の姿に戻ったのである。

 もう反撃する力も防ぐ力など残ってもいないだろう。頬に深い傷を負ったタキはへたりと座り目を大きく(みは)っていた。

 ……だが、それは朧も同じだった。
 凄みを含んだ鬼の(おもて)のまま。彼は『止まれ』と、がなる。だが、放ってしまったものはもう止まりやしない。

 間違いなく満身創痍(まんしんそうい)のタキが喰らえば致命傷を与えるだろう。季音は血の気の失せた唇をひらく。

(止めて! 嫌っ! だめ!)

 空回る唇で、季音が叫んだ途端だった。

(無力で愚鈍な娘。面白いことになってるじゃないか。(わらわ)が少し力を貸してやろうぞ)

 季音の脳裏に響いた声は、艶やかで気高いものだった。
 だが、その響きには悍ましい凄みが潜んでいて、思わず背筋にぞくりと寒気が走る。

 突然、何かに操られるように、季音の身体が勝手に動き出した。
 締め付けていた拘束が一瞬で緩むのを感じた瞬間、足がまるで自分のものではないかのように駆け出していた。
 いや、完全に何かに乗っ取られたようだった――視覚だけが残り、触覚も聴覚も、ほかの感覚はまるで消し去られたように何も感じられない。

 飛ぶように石を跳ねて、沢の浅瀬で足は立ち止まる。すっと差し出された手はタキの方へ――すると、深い紫の炎の壁が音を上げてタキの周囲をぐるりと囲んだ。

 炎の壁は朧の放った妖術と(しのぎ)を削り、相殺(そうさい)し、やがて消滅する。

 先程の喧噪が嘘のよう。
 静まり返った沢はせせらぎだけがさらさらと反響していた。

 自分がいったい何をしたかも分からなかった。しかし、間違いなくあの炎は自分が放ったものだろうと悟ることはできる。妖狐(ようこ)が得意とする妖術――狐火。それによく似たものだったと自分でも分かったのだから。

(そら、満足か。感謝しろ)

 再び脳裏に響いた声に季音は目を(みは)る。
 それと同時に、攻め寄せたのは何とも言えない倦怠感だった。糸ぷつりと切れたかのよう。季音は途端に意識を手放した。
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