愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 ※※※

 それは怖気(おぞけ)がするほどに鋭い妖気だった。殺気にもよく似た凄みを含んでいただろう。

 その凄みを感じたと同時、季音の拘束が剥がれて彼女は動き始めたのだ。

 愚図で鈍い。そんな彼女が、狐そのもののように俊敏に駆け出して狐火を放ったのだ。
 沢の浅瀬で倒れてぐっしょりと水に濡れた季音を龍志は黙って抱え上げる。

「主殿……」

 蘢に名を呼ばれたが、龍志は何も応えることができなかった。

 起きたことににわかに信じ難かった。
 まさか、荒神の力を呼び戻したとでも言うのか――そんな憶測も過ぎるが、気を失った季音からは先程の殺気立った妖気は一切感じられないどころか、いつも通りの妖気皆無に戻っていたのだ。

 龍志は眉間に深い皺を寄せた。
 いつか来るであろう結末など、なるべく考えないようにしていたが、その輪郭は無情にも突然姿を現したのだ。

 ……しかしなぜ、荒神が表に出てきて、あの場で手助けをしたのかは理解できない。いや、親友のタキを助けて欲しいと、季音の願いを叶えたかのようにさえ思えてしまった。

 龍志は蒼白になって黙考するさなかだった。

「……おい。どういうことだ、龍。何が起きたんだ」

 対岸から向かって来た朧はタキを担いでいた。きっと、死を悟った恐怖心で失神してしまったのだろう。タキは固く瞼を閉ざして朧の腕の中でぐったりと眠っていた。

 だが、どう答えて良いのかも分からなかった。憶測ばかりで、確証できることは何一つとしてないのだから……。

「……とりあえず帰ろう。狸の様子は社の中で見といてくれないか。季音を寝かせたら、後で社に傷薬を持って行く」

 嫌な予感ばかりが心の中でざわめいた。
 すぐに二匹の式神から顔を背けた龍志は、苦虫を噛み潰すように唇を歪めた。
< 64 / 145 >

この作品をシェア

pagetop