愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 再び恐怖が這い寄ってくるのを感じ、身が竦みそうになったその瞬間――季音の足は、まるで操られるように、朱塗りの橋に向かって勝手に歩み始めた。

 |朱塗りの橋は、息をのむほど立派なものだった。欄干(らんかん)の柱には輝く金の擬宝珠(ぎぼうしゅ)が飾られ、塗りが剥げたところはどこにもなく、堂々とした佇まいを誇っていた。

 ふと橋の下に目をやると、赤や金、白の鯉が優雅に泳ぎ回り、浅瀬には濃い紫の菖蒲(しょうぶ)が鮮やかに群生していた。

 橋を渡り終えると、正面には真っ赤な花をたわわに咲かせた椿(つばき)の大木がそびえていた。その根元では、水仙(すいせん)桔梗(ききょう)菜の花(なのはな)が色とりどりに咲き乱れ、まるで絵巻のような美しさだった。

 そこを横切り、白砂利(しらす)の道を進むと、今度は一面に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が真っ赤に咲き誇っていた。

 息を飲むような赤の世界。その中心に、淡い紫の屋根を持つ四阿(あずまや)がぽつんと佇んでいる。

 歩みを進めるうち、風に甘い香りが漂ってきた。道なりに進むと、四阿(あずまや)の屋根が藤棚(ふじだな)だと気づく。

 大きな花房が幾重にも揺れ、優美で甘い香りを放っていたのは、この(ふじ)の花。季音はそのことに、ふと心を奪われた。

 藤棚の四阿(あずまや)の前まで辿り着くと季音の足はぴたりと止まった。
 藤の天井は薄紫の大きな房は言葉を失うほどに美しい。淡い陽光に光る花弁は輝かしい。それはまるで、紫水晶の集合体のようで――
 その美しさにすっかりと心を奪われて、恐怖心はすっかりと薄れていた。季音は藤棚を見上げたまま自然と四阿(あずまや)の中へと踏み入ったと同時だった。

「よく来た。だが遅い」

 後方から艶やかな声が再び響く。だが、今度は脳裏に震え伝わるようなものではなく、直接的に話しかけられたようで季音ははっと目を(みは)る。

 同時に感じたのは悍ましいほど鋭い妖気だった。恐る恐る後方に振り向いたと同時――季音の思考はぴたりと止まった。

 ……そこにいた存在は、自分と同じ姿をしていたのだから。

 雪白(せっぱく)の髪にピンと立った狐の耳。彼女は自分がまとっているものと同じ装束を纏っていた。

 だが、その顔立ちは鏡で見た自分の顔と少し違うだろう。

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