愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~

 おいおいと声を上げて泣く母に、気の利いた言葉は何一つ出せなかった。できることと言えば、折れそうなほど細い母の背を撫でることだけで、龍志は深く息を吐いた。

「親父、俺にも会いに来たよ。だから少し戻ってきた。玉串(たまぐし)を手向けさせてくれ」

 母は嗚咽をしゃくり上げながらも、すぐに頷いてくれた。

 ***

 神葬祭は死後翌日――昨晩行われたそうだ。埋葬祭は今朝済んだばかりで、居間の神棚には白紙がかぶせられ、社殿の入り口はしっかりと塞がれていた。

 死は突然だった。突然倒れ、医者が駆けつけた時には既に息を引き取っていた。恐らく頭の血管が切れたのだろうと推測されている。

 神棚に玉串(たまぐし)を手向け、龍志は二歩退き、二礼の後に忍び手を打った。そして、もう一礼して、母に会釈した。

「そういえば、兄貴は?」

 話しかけるのも少し気まずく、龍志は母から視線を反らして聞く。だが、視界の端で彼女は泣きながらも慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 それが酷く痛ましく、薄情だが直視できなかった。

(こう)ちゃんは、本殿の片付けをしてると思うわ」
「そうか、なら少し手伝ってくる。兄貴とも少し話したい」

 そう言ってその場を去ろうとした瞬間、母に袖を掴まれ、龍志ははっと彼女を見た。

 黒々とした瞳は涙に濡れていたが、その眼差しには先程より強い光が宿っていた。

「ねぇ龍ちゃん、貴方は今どこにいるの? どこに行っちゃったの、もう戻らないの?」

 元より、宮司の兄の補佐をする禰宜(ねぎ)になることが自分の生まれ持った定めだった。
 きっと、戻ってこいと言いたいのだろうと想像も容易い。だが、成すべき運命を見据えて松川を去ったのだ。龍志はすぐに首を振った。

「黒羽にいる。陰陽道に進むことにした。俺にしかできないことを成し遂げるために家を出た」
「龍ちゃん、貴方……まだ〝見える〟の?」

 母も、龍志が人で非ずの者を見えることは知っている。
 きっと〝見える〟とはそのことを言いたいのだろう。龍志は頷き、正面から母と向き合った。

「ああ、だから会いに来た親父がはっきり見えたんだよ。悪いが、俺はここに戻る気はない。分かってくれ、その件も兄貴と話したい。それと、すまなかった」

 ――育ててくれて、産んでくれてありがとう、母さん。
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