甘く苦く君を思う
「昴さんを愛しているんです。だから別れません。しかもお金を渡すなんて……」

「若い女性はみんなそう言います」

男性は淡々と私を見下すかのような視線を投げつけてきた。

「現実を見てください。息子はこの家の後継者です。軽い気持ちで付き合える立場にはないんです」

「どういうことですか?」

彼らが何を言っているのか理解できない。昴さんは後継者? 

「息子は高倉家の跡取りです。高倉グループをご存知ですか?」

「……っ!」

驚いて息を飲む。
全国にその名を馳せる高級ホテルチェーン。その名を知らない人はいないだろう。彼がそこまでの家柄の人間だったなんて考えたこともなかった。あまりの衝撃に次の言葉が出てこない。

「息子から何も聞いていないんですね。自分の立場を隠していたのはあなたに警戒されたくなかったんでしょう。そうでしょうね、あなたには息子を支えるだけの技量はない。あの子を理解し、支えてくれるような女性が必要なんです。息子もそれをわかっているからあなたに正体を告げないのでしょう」

「でも私を愛していると言ってくれました」

「そんなのいくらでも言えるでしょう」

男性は少し嘲るようにそう口にした。

「私たち高倉グループを牽引する昴の未来を潰さないでいただきたい。あなたはパティシエールとして素晴らしい方だと聞きました。あなたに息子の未来を背負わせる重荷を渡すわけにはいきませんわ。もうここで身を引いてください」

私の住んでいるところを知っている時点で気がついていたが、私の仕事もすでに把握していることに背筋がすっと冷たくなるのを感じた。ふたりの冷静な声に、貼り付けられたその笑顔に胸がギュッと締め付けられた。
怒鳴りつけるわけでもなく、冷静だった。それが余計に逃げ場がないくらいの圧を感じた。

「どうか賢い選択をしてください。あの子のためにも」

その声には本気で息子を思う気持ちが滲んでいた。
やがて立ち上がるとふたりは微笑を崩さないまま去っていった。
残されたのは重苦しい沈黙とテーブルの上に置かれたままの封筒だった。
< 23 / 105 >

この作品をシェア

pagetop