初恋の距離~ゼロになる日
第1章 初恋の人と婚約
春の陽射しが差し込む、篠宮家の応接間。窓辺に飾られた白い百合の香りが、ふわりと空気を撫でる。
美琴は緊張で膝の上の手を強く握りしめていた。深呼吸をしても胸の高鳴りは収まらない。
向かいのソファには、父と母。そして、その隣に――朝倉悠真が座っていた。
――初恋の人。
高校生の頃、父の仕事の付き合いで一度だけ出会ったあの人。
背筋の伸びた立ち姿、整った顔立ち、低く落ち着いた声。年上で、都会的で、何もかもが遠い世界の人だった。
以来、美琴は社交界で彼の名前を耳にするたび、胸の奥が静かに熱を帯びた。けれどそれは、叶わない夢のような感情だとわかっていた。
「本日は、お二人の婚約について正式にお話を進めたいと思いまして」
父の声が応接間に響く。
婚約――。
まるで物語の中の台詞のように、現実感がなかった。
美琴は俯きそうになる視線を必死に上げ、目の前の悠真を見る。
彼は穏やかな笑みを浮かべていた。鋭さを秘めた瞳が一瞬だけこちらに向けられ、美琴の心臓が跳ねる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
低く響く声。その音だけで、胸の奥の初恋がまた色づく。
しかし、同時に不安も芽生える。
――これは父同士の繋がりによる政略婚。悠真にとって、私はただの条件の一つかもしれない。
そう思えば、喜びと同じくらい、胸に小さな痛みが生まれるのを感じた。
会話は淡々と進み、結納や披露パーティの日程の話になった。
「婚約披露は来月の半ばがよろしいかと」
「ええ、それで結構です」悠真は頷く。
その横顔を、美琴はそっと盗み見る。
端正な顔立ち、整えられた黒髪、時計のベルトの革の艶までもが美しく見える。
――やっぱり、夢みたい。
応接間を出たあと、母と二人きりになる。
「良かったわね、美琴。あなた、ずっとあの方を目で追っていたもの」
「……お母さま、そんなこと」
「隠していたつもりでしょうけど、母親にはわかるのよ」
からかうような声色に、思わず頬が熱くなる。
それでも、胸の奥にあるのは喜びだった。
これからは彼の隣に立てるのだ――。
婚約披露パーティの準備はあっという間に進み、あの日が訪れる。
会場は都内の一流ホテルの大広間。シャンデリアの光が金色の輝きを放ち、壁には白と淡いピンクの花がふんだんに飾られている。
美琴は純白のドレスに袖を通し、大きな鏡の前で息を整える。
「美琴様、お綺麗です」
侍女の言葉に小さく笑みを返すが、心臓の鼓動は速くなる一方だった。
控室の扉が開き、悠真が入ってくる。タキシード姿の彼は、普段よりもさらに凛々しく見えた。
「似合ってる」
その一言だけで、胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます……」
視線を合わせると、彼の瞳はどこか穏やかで、けれど奥に鋭さを宿している。
パーティ会場に入ると、拍手と祝福の声が溢れた。
「おめでとうございます」と口々に言われ、そのたびに悠真は礼儀正しく微笑み、美琴の腰に軽く手を添える。
その距離の近さに、頭がくらくらした。
祝辞が続く中、美琴はグラスを持ちながら、ふと悠真の横顔を見る。
初恋の人が、今は私の婚約者。
それだけで、世界が輝いて見えた。
美琴は緊張で膝の上の手を強く握りしめていた。深呼吸をしても胸の高鳴りは収まらない。
向かいのソファには、父と母。そして、その隣に――朝倉悠真が座っていた。
――初恋の人。
高校生の頃、父の仕事の付き合いで一度だけ出会ったあの人。
背筋の伸びた立ち姿、整った顔立ち、低く落ち着いた声。年上で、都会的で、何もかもが遠い世界の人だった。
以来、美琴は社交界で彼の名前を耳にするたび、胸の奥が静かに熱を帯びた。けれどそれは、叶わない夢のような感情だとわかっていた。
「本日は、お二人の婚約について正式にお話を進めたいと思いまして」
父の声が応接間に響く。
婚約――。
まるで物語の中の台詞のように、現実感がなかった。
美琴は俯きそうになる視線を必死に上げ、目の前の悠真を見る。
彼は穏やかな笑みを浮かべていた。鋭さを秘めた瞳が一瞬だけこちらに向けられ、美琴の心臓が跳ねる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
低く響く声。その音だけで、胸の奥の初恋がまた色づく。
しかし、同時に不安も芽生える。
――これは父同士の繋がりによる政略婚。悠真にとって、私はただの条件の一つかもしれない。
そう思えば、喜びと同じくらい、胸に小さな痛みが生まれるのを感じた。
会話は淡々と進み、結納や披露パーティの日程の話になった。
「婚約披露は来月の半ばがよろしいかと」
「ええ、それで結構です」悠真は頷く。
その横顔を、美琴はそっと盗み見る。
端正な顔立ち、整えられた黒髪、時計のベルトの革の艶までもが美しく見える。
――やっぱり、夢みたい。
応接間を出たあと、母と二人きりになる。
「良かったわね、美琴。あなた、ずっとあの方を目で追っていたもの」
「……お母さま、そんなこと」
「隠していたつもりでしょうけど、母親にはわかるのよ」
からかうような声色に、思わず頬が熱くなる。
それでも、胸の奥にあるのは喜びだった。
これからは彼の隣に立てるのだ――。
婚約披露パーティの準備はあっという間に進み、あの日が訪れる。
会場は都内の一流ホテルの大広間。シャンデリアの光が金色の輝きを放ち、壁には白と淡いピンクの花がふんだんに飾られている。
美琴は純白のドレスに袖を通し、大きな鏡の前で息を整える。
「美琴様、お綺麗です」
侍女の言葉に小さく笑みを返すが、心臓の鼓動は速くなる一方だった。
控室の扉が開き、悠真が入ってくる。タキシード姿の彼は、普段よりもさらに凛々しく見えた。
「似合ってる」
その一言だけで、胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます……」
視線を合わせると、彼の瞳はどこか穏やかで、けれど奥に鋭さを宿している。
パーティ会場に入ると、拍手と祝福の声が溢れた。
「おめでとうございます」と口々に言われ、そのたびに悠真は礼儀正しく微笑み、美琴の腰に軽く手を添える。
その距離の近さに、頭がくらくらした。
祝辞が続く中、美琴はグラスを持ちながら、ふと悠真の横顔を見る。
初恋の人が、今は私の婚約者。
それだけで、世界が輝いて見えた。
< 1 / 18 >