初恋の距離~ゼロになる日
 披露パーティの場内は、シャンデリアの光とグラスの音が絶え間なく響いていた。
 人々の視線は、新郎新婦のように並んで立つ美琴と悠真に注がれている。
 美琴は何度も笑みを作りながら、胸の奥に流れる熱を抑え込んでいた。

「飲み物、何がいい?」
 隣から低く穏やかな声が響く。
「……シャンパンを」
 彼が頷き、ウェイターに声をかける。
 その仕草は自然で、まるでずっと隣に立っていたかのような馴染み方だった。

「緊張してる?」
「……はい。少しだけ」
「少しだけ?」と、口角を上げる悠真。
「さっきから手が冷たい」
 そっと彼が美琴の手に触れる。瞬間、鼓動が跳ね上がった。
「……すみません」
「謝ることじゃない」
 言葉と共に、彼の掌が一瞬だけ美琴の指を包み込む。その短い接触が、場のざわめきから切り離されたように感じられた。

 やがて、父の友人たちや社交界の知人が次々と二人のもとを訪れ、祝福の言葉をかけていく。
「朝倉さん、お幸せそうで」
「篠宮のお嬢さんは本当にお綺麗だ」
 褒められるたび、美琴は微笑み、悠真は隣で「ありがとうございます」と返す。
 その声を聞くたび、美琴は不思議な感覚に包まれた。
 ――この人が、私の婚約者。初恋の人が、今は私の隣にいる。

 休憩のため、会場奥の控えスペースに二人で移動する。
 椅子に腰掛けた美琴は、やっと大きく息を吐いた。
「お疲れ?」
「……はい。社交の場はあまり慣れていなくて」
「知ってる。昔から、人前に出ると少し固くなる」
 その言葉に、美琴は驚いて彼を見た。
「……覚えて、いたんですか?」
「覚えてるよ。篠宮邸の庭園で、パーティのとき。君はずっと噴水の近くにいた」
 彼の記憶に自分が残っていたことが、胸の奥に温かく広がっていく。

 控え室を出て、再び会場へ戻ると、カメラマンの声が響く。
「お二人、こちらを向いていただけますか?」
 並んで立ち、悠真が自然に美琴の肩を引き寄せる。
 フラッシュの光が瞬き、その距離の近さに頬が熱くなった。
「……慣れないでしょうけど、少しずつでいい」
 耳元で囁かれる声は、祝福の喧騒の中でもはっきり届いた。

 その夜、パーティが終わり、送迎の車の中。
 窓の外にはホテルの光が遠ざかり、街の夜景が流れていく。
「今日は、ありがとう」
「いえ……こちらこそ」
 言葉が途切れ、車内に静寂が落ちる。
 悠真が視線を外の夜景から戻し、美琴を見る。
「これからは、婚約者として、一緒にいる時間が増える」
 それは、事実を述べただけなのに、不思議と未来を約束するように響いた。

 それから数日。
 婚約発表の記事が新聞や雑誌に載り、知人や友人からも連絡が届く。
 屋敷の門前で記者に待たれることも増えた。
「大変ですね、美琴様」
「……でも、嫌ではありません」
 侍女にそう答える自分に気づき、胸が少しだけ高鳴る。

 悠真からは時折、短いメッセージが届いた。
『次の週末、食事でも』
『体調はどう』
 多くはない言葉なのに、画面に映るたび頬が緩む。

 初恋の人と婚約して日々が動き始めた。
 まだ夢の中にいるようで、現実感は薄い。
 けれど――その夢が、この先ずっと続けばいいと、美琴は心から願っていた。
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