初恋の距離~ゼロになる日
第2章 胸を裂く一言
秋の夜、都内の名門ホテルで開かれた慈善パーティ。
婚約発表からひと月ほどが経ち、社交界では「朝倉と篠宮の婚約」はすっかり話題の中心になっていた。
会場の大広間には、煌びやかなシャンデリアの光とピアノの生演奏が満ち、銀色のトレイを持った給仕が行き交う。
美琴は淡い水色のイブニングドレスに身を包み、控えめな笑顔で来客たちと挨拶を交わしていた。
「まあ、美琴さん、本当にお綺麗ね」
「朝倉さんとはいつ結婚式を?」
微笑みながら答えるたび、頬がこわばる。
慣れない場での会話は、やはり緊張がつきまとう。
しばらくして、悠真が「少し休んでくるといい」と声をかけてくれた。
「はい……では、少しだけ」
そう告げて会場の端に向かい、人混みの切れ目から廊下へと出る。
その途中、何気なく左手のバルコニーへの通路に差しかかったとき――聞き慣れた声が耳に届いた。
「……いや、美琴といると、なんだか疲れるよな」
足が止まる。
振り向くと、バルコニーの影で悠真が数人の友人たちとグラスを手に談笑していた。
彼の横顔は、普段の硬い表情ではなく、少し砕けた笑みを浮かべている。
「おまえにしては珍しいな、そんなこと言うの」
「いや、嫌いとかじゃない。ちゃんとしてるし、品もある。ただ……妙に気を遣っちゃうんだよ」
――気を遣わせている? 私が?
耳が熱くなり、視界がぐらぐら揺れる。
友人たちは笑いながら冗談を返しているようだったが、その笑い声さえ刃物のように胸に突き刺さった。
鼓動が速くなり、足先から冷えていく感覚が広がる。
美琴はその場を立ち去ろうとしたが、裾がバルコニーの柵に軽く触れ、カーテンの陰が揺れた。
咄嗟に踵を返し、人目につかぬよう裏手の廊下に出る。
やっぱり……そうだったんだ。
政略結婚だから仕方なく婚約してくれたのだと思っていた。
けれど、今日の言葉でそれが確信に変わってしまった。
私は、彼にとって心休まる存在ではなく、重荷なのだ――。
人気のない廊下で、壁にもたれながら深く息を吐く。
涙がこみ上げそうになり、必死で瞬きを繰り返した。
泣いてしまえば、化粧も崩れてしまうし、何よりパーティの場に戻れなくなる。
「……大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせ、呼吸を整える。
けれど胸の奥の痛みは、まるで細い棘が何本も刺さったように抜けなかった。
しばらくして、再び会場に戻る。
笑顔を取り繕い、グラスを手に会話の輪に加わる。
けれど、悠真の姿を見るたび、さっきの言葉が蘇る。
――疲れる。気を遣う。
たとえ冗談だったとしても、それは心からの安らぎではない証だ。
そう思うと、胸がきゅっと締めつけられる。
その夜、帰りの車の中。
悠真は隣に座り、窓の外を眺めている。
「……疲れた?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか」
それ以上会話は続かなかった。
車内の静けさが、昼間とは違う意味で重く感じられた。
婚約発表からひと月ほどが経ち、社交界では「朝倉と篠宮の婚約」はすっかり話題の中心になっていた。
会場の大広間には、煌びやかなシャンデリアの光とピアノの生演奏が満ち、銀色のトレイを持った給仕が行き交う。
美琴は淡い水色のイブニングドレスに身を包み、控えめな笑顔で来客たちと挨拶を交わしていた。
「まあ、美琴さん、本当にお綺麗ね」
「朝倉さんとはいつ結婚式を?」
微笑みながら答えるたび、頬がこわばる。
慣れない場での会話は、やはり緊張がつきまとう。
しばらくして、悠真が「少し休んでくるといい」と声をかけてくれた。
「はい……では、少しだけ」
そう告げて会場の端に向かい、人混みの切れ目から廊下へと出る。
その途中、何気なく左手のバルコニーへの通路に差しかかったとき――聞き慣れた声が耳に届いた。
「……いや、美琴といると、なんだか疲れるよな」
足が止まる。
振り向くと、バルコニーの影で悠真が数人の友人たちとグラスを手に談笑していた。
彼の横顔は、普段の硬い表情ではなく、少し砕けた笑みを浮かべている。
「おまえにしては珍しいな、そんなこと言うの」
「いや、嫌いとかじゃない。ちゃんとしてるし、品もある。ただ……妙に気を遣っちゃうんだよ」
――気を遣わせている? 私が?
耳が熱くなり、視界がぐらぐら揺れる。
友人たちは笑いながら冗談を返しているようだったが、その笑い声さえ刃物のように胸に突き刺さった。
鼓動が速くなり、足先から冷えていく感覚が広がる。
美琴はその場を立ち去ろうとしたが、裾がバルコニーの柵に軽く触れ、カーテンの陰が揺れた。
咄嗟に踵を返し、人目につかぬよう裏手の廊下に出る。
やっぱり……そうだったんだ。
政略結婚だから仕方なく婚約してくれたのだと思っていた。
けれど、今日の言葉でそれが確信に変わってしまった。
私は、彼にとって心休まる存在ではなく、重荷なのだ――。
人気のない廊下で、壁にもたれながら深く息を吐く。
涙がこみ上げそうになり、必死で瞬きを繰り返した。
泣いてしまえば、化粧も崩れてしまうし、何よりパーティの場に戻れなくなる。
「……大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせ、呼吸を整える。
けれど胸の奥の痛みは、まるで細い棘が何本も刺さったように抜けなかった。
しばらくして、再び会場に戻る。
笑顔を取り繕い、グラスを手に会話の輪に加わる。
けれど、悠真の姿を見るたび、さっきの言葉が蘇る。
――疲れる。気を遣う。
たとえ冗談だったとしても、それは心からの安らぎではない証だ。
そう思うと、胸がきゅっと締めつけられる。
その夜、帰りの車の中。
悠真は隣に座り、窓の外を眺めている。
「……疲れた?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか」
それ以上会話は続かなかった。
車内の静けさが、昼間とは違う意味で重く感じられた。