初恋の距離~ゼロになる日
 翌日。
 朝の光が差し込む篠宮家の食堂で、母が新聞を広げていた。
「昨日のパーティ、写真がたくさん載ってるわよ」
 ページをめくると、悠真と並んで立つ自分の姿が映っていた。笑顔を浮かべてはいるが、どこかぎこちない。
「綺麗に写ってるじゃない」
「……ありがとうございます」
 返事はしたものの、その写真を見るたび、胸の奥で小さく疼く。
 ――あのときも、この笑顔の裏には、あの言葉が残っていた。

 それから数日、美琴は自然に距離を取るようになった。
 悠真からの連絡に、以前ならすぐ返していた返信を少し遅らせる。
 会う予定も「習い事がある」「母の用事で」などと理由をつけて減らしていった。

 もちろん、冷たくしているつもりはない。
 ただ、彼の負担にならないように――。
 私といると疲れる というなら、無理にそばにいる必要はない。

 その考えは、少しずつ日常に馴染んでいった。
 けれど同時に、心の奥ではわずかな寂しさが膨らんでいく。

 ある日、偶然百貨店のティーラウンジで友人とお茶をしていると、ガラス越しに悠真の姿が見えた。
 背広姿で、携帯電話を耳に当て、難しい表情をしている。
 目が合いそうになり、とっさに視線を逸らす。
 ――今は、こちらから声をかけるべきではない。
 そう自分に言い聞かせ、紅茶の香りに逃げ込んだ。

 しかし、その日の夜。
『今日、百貨店で見かけた?』
 悠真から短いメッセージが届く。
『はい……お忙しそうでしたので』
『忙しくても、声くらいかけていい』
 その文面に、少しだけ胸が痛む。けれど、理由を説明する言葉は送れなかった。

 ――どう言えばいいのだろう。
 ――「あなたといると疲れるって言っていたでしょう」と、責めるように聞こえることしか言えない気がする。

 その週末、父母を交えた会食があり、久しぶりに悠真と顔を合わせた。
 円卓に並んだ料理の湯気と香りの中、彼はいつも通り穏やかな笑みを浮かべている。
「美琴、最近少し痩せた?」
「……そうでしょうか」
「仕事じゃないんだから、あまり無理はするな」
 さりげない気遣いの言葉。
 それだけで、心の奥の“好き”が疼く。

 けれど、その想いを表に出すのは怖かった。
 また、あのときのように冗談半分の言葉で傷つくのではないか――。

 食事が終わり、店を出たあと、夜の街を二人で歩く。
「このあと、少し寄り道しないか」
「……いえ、今日は早めに帰ります」
 一瞬だけ、悠真の足が止まった。
「……そうか」
 その低い声の奥に、わずかな苛立ちと戸惑いが混じっていた。

 別れ際、彼が車のドアを開ける。
「……最近、避けてないか?」
 その問いかけに、胸が跳ねた。
「そんなこと……ありません」
 言葉では否定したが、視線は彼を見られなかった。

 車が走り出すと、窓の外に夜景が流れていく。
 その光の粒が、涙に滲んで揺れた。

 ――やっぱり、私は彼にとって“心地よい存在”にはなれないのかもしれない。
 だからこそ、これ以上踏み込みすぎないほうがいい。

 そう強く思った瞬間、心の中に決意のような冷たい静けさが降りてきた。
< 4 / 18 >

この作品をシェア

pagetop