忌み子の私に白馬の王子様は現れませんでしたが、代わりに無法者は攫いにきました。

幕間 エルフの帳簿

 傭兵団の拠点は、いつもどこか賑やかで、訓練の声や笑い声が絶えない。でも今日は、少し違う雰囲気だった。

「?」

 廊下を歩いていると事務室の扉が少し開いていて、中からため息や紙の音が漏れ聞こえてくる。私は好奇心に駆られそっと中を覗いてみた。ヴィシャスやラビィルさんが任務で出かけている間、暇を持て余していたところだ。

 事務室の中はいつもより慌ただしい。机の上には山積みの書類、インクの瓶が転がり棚から古い帳簿がはみ出している。

 事務室には普段事務を担当する亜人たちが数人いるはずだけど、今日は一人だけ。

 エルフのナイゼルが細い指でペンを走らせ眉を寄せている。神経質そうな美形の彼――銀色の長い髪を後ろで束ね、尖った耳が優雅に揺れ、青い瞳が書類を睨んでいる。団の中でも知的な役割を担う彼が今日は一人で奮闘しているみたい。ため息が漏れ肩が少し落ちている。

  彼は幻術魔法で拠点を隠すだけでなく細々とした事務処理も担当していた。

「ナイゼル……どうしたんですか? 皆さん、今日は……?」

 私はおずおずと声をかけ部屋に入る。慌ただしい様子を見て心配になった。
 書類の山が崩れそうで、彼の美形の顔に疲れがにじんでいる。ナイゼルが顔を上げ、私を見て少し驚いた表情。

「あぁ、これはヴェルゼさんでしたか。今日は他の連中が風邪でダウンしてしまってね。会計の締めと、任務の報告書、物資の在庫管理が山積みなのですよ」

 彼の声は穏やかだけど疲労が滲んでいた。
 事務を行う亜人たちは普段数人で分担しているというのに一人じゃ大変そう。団の運営は戦いだけじゃなくこんな裏方の仕事も大事だってヴィシャスから聞いたことがある。……まあ彼はその手の頭脳労働はできないみたいだったけど。
 私は躊躇しながらも申し出る。

 「あの……私、手伝いましょうか? 事務の仕事はしたことはないですけど……少しでも役に立てるなら」

 檻の中で退屈しのぎに母が差し入れてくれた本で単純な読み書きはできる。
 視線を合わせるとナイゼルが青い瞳を細め私を見つめた。

 「ヴェルゼさんが? それは…………ふむ、今後の為に団のことを知っておいてもらってもいいかもしれませんね」

 そう答え、ナイゼルが椅子を引き私に座るよう促された。

 「じゃあ、お言葉に甘えましょう。まずは基本から」
 
 事務処理の学びが始まった。ナイゼルが帳簿を開き細い指でページを指す。

 「これは団の会計簿。任務の報酬、物資の購入、メンバーの報酬分配を記入するんだ。正確に記録しないと、いざという時に活動資金がなくなると困りますからね」

 彼の声は丁寧で、説明がわかりやすい。神経質そうな外見とは裏腹に、教え方は優しかった。
 私はペンを握り、教えられた通りにバラバラのメモに書かれた数字を一冊のノートに書き写していく。

 「うん、あってますよ。……ああここは、必要物資を購入した金額を引いて……」

 時折、ナイゼルが私の手元を覗き込み確認修正してくれる。美形のエルフの彼、冷たい印象を勝手に抱いていたが意外に親しみやすいのかもしれない。

 在庫管理に移る。
 「物資のリスト。食料、武器、薬草の在庫をチェック。ヴィシャスを筆頭に荒事を担う傭兵は費用を気にすることなく消費してしまうからね」

 ナイゼルがため息混じりに言う。私はこれもリストを書き写し計算する。

 「これ、薬草の在庫が少ないわ……次回の任務までに補充を……」

 リストを見せると彼が頷き、
 「そうですね。ヴェルゼさん、細かいところに気づきますね。とても筋がいいです」

 褒められて嬉しい。事務の山が少しずつ減っていき仕事が進んでいるという静かな達成感が広がる。

 
 夕方近く、仕事が一段落していた。
 書類の山は片付き、部屋はすっきり。ナイゼルが紅茶を入れてくれ、二人で休憩していた。
「今日はあなたがいてくれて助かりました。ヴィシャスはこの手のことはできませんから、ありがとうございました」
「いいえ、そんな……こちらこそありがとうございます……事務のお仕事を教えてもらえて嬉しかったです」

 新たな学びが私の自信に、団の裏方を知りもっと皆の役に立てる。日常は続き、穏やかな一日だった。

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