「捨てられ王妃」と呼ばれていますが私に何かご用でしょうか? ~強欲で身勝手な義母の元には戻りません~

【7】簒奪《さんだつ》の勧め(1)

 ブライトン公爵家を出たヘーゼルダインは月の下を歩いていた。
 三月に入り、寒さはだいぶ和らいでいる。
 
 王宮内の官吏用宿舎の一室がヘーゼルダインの自宅だ。
 王宮にほど近いブライトン公爵家からは馬車に乗るほどの距離ではない。

(アイリス様とギルバート殿下がご結婚……)

 ヘーゼルダインがブライトン公爵家にいた頃、アイリスはまだ生まれたばかりだった。
 官吏になって公爵家を出た時でも、三歳くらいだっただろう。

 それからも何度か公爵家を訪ねることはあったので、彼女の成長はずっと見てきている。

 幼い頃の彼女は、気の強いはねっ帰り娘だった。
 二歳違いのギルバートも聞かん気の強い子どもだったので、よく喧嘩をしていた。

 六歳でノーイックの婚約者に選ばれてからは、ハリエットをはじめとした教育係たちから厳しい教育を受けていた。
 それらの日々もヘーゼルダインは知っている。

 アイリス元々、じっと座っているのも苦手なくらい活発な子だった。
 そんな子が、我慢を覚え、行儀作法を覚え、何度も泣きながら、どこに出しても恥ずかしくないマナーを身に着けた一流の淑女に成長した。

 その点はギルバートも似ている。
 ギルバートの成長もヘーゼルダインは見てきている。

 彼もまた、やんちゃな少年だった。
 教育と躾、そしてあることをきっかけに、すっかり紳士に生まれ変わった。

 二人とも、元来、頭がよかったのだろう。
 礼儀や礼節に留まらず、数学や語学、歴史学や統計学などありとあらゆる学問を学び、音楽や詩歌などの教養を身に着け、国内外の貴族や王族の人間関係や力の上下なども、今ではしっかりと把握している。
 優秀であることは誰の目にも明らかだ。

 それが、なぜだか歪められて伝えられ、あのディアドラ・ネルソンのほうがアイリスよりも有能だと噂されていたのだから理解に苦しんだ。
 アイリスが去って間もなく、ディアドラ・ネルソンの評判があっというまに地に落ちたのも不思議な話だ。

 アイリスとギルバートについては、頭の良さもさることながら、どちらの努力もすさまじいものだったのを覚えている。

 王や王妃に求められるものは多い。
 王宮の四阿で一人で泣いているアイリスを見かけたのは、一度や二度のことではない。
 幼い頃は家族恋しさや躾の厳しさに涙を流していたし、成長してからは自分の学びの至らなさに悔し涙を流していた。

 あれほどの努力によって身に着けたものを、この先活かせなくなくなるのだと思うと惜しい。
 国益の面で考えれば、明らかな損失だ。

 ディアドラ・ネルソンがアイリスを連れ戻しに来たと知った時、ヘーゼルダインは一瞬、これでブラックウッド王国は救われると期待した。

 だが……。

(とんでもない剣幕だったな)

 ギルバートがあれほどの怒りを見せるとは思わなかった。

 だが、同時に彼が紳士になったきっかけを思い出すと納得できるような気がする。

 アイリスが五歳、ギルバートが七歳の時のことだ。
 アイリスには宝物があった。何日もかけて自分で作ったピカピカの泥団子だ。
 その泥団子を、ふざけて後ろ歩きをしていたギルバートが尻餅をついて壊してしまったことがある。

 ふつうの女の子ならそこで泣き出すところだが、アイリスは泣かなかった。
 ふざけて後ろ歩きをしているからいけないのだとつたない言葉ながら正論で詰めていた。

 教育の成果もあったのだろうが、あの日を境に、ギルバートは注意深くなったように思う。
 そして、あの頃にはすでに、ギルバートにとってアイリスを大事な人だったのだと、今になって理解する。

 厳しい躾を与える一方、リリーやハリエットは領民たちと子どもたちとの触れ合いも大事にしていた。
 領地内で過ごす時には自由な行動を許していたため、子ども同士の諍いに巻き込まれることもあった。

 乱暴な行動を禁じられていたギルバートが、身体の大きい男の子たちに暴力を受けてもやり返せず、悔しくて泣いてしまったことがある。
 やはり、アイリスが五歳、泥団子事件の少し前のことだったと思う。

 たまたま近くで見ていたヘーゼルダインは、アイリスの行動に驚いた。

 泣いているギルバートを助け起こし、なんと、一番大きな子にアイリス自身が体当たりしたのだ。
 驚いて目を見開くいじめっ子たちに、大勢で小さい子をいじめるのは卑怯だと、これまたつたない言葉で言ってのけた。

 その際、ギルバートが第二王子であることも、自分がブライトン公爵家の第一令嬢であることも全く口にしなかった。

 ただ、彼らの行動の卑怯な点だけをきっちり詰めていた。
 毅然とした態度で。

 ぐうの音も出なくなった少年たちに、次からは一対一で正々堂々と戦うように諭し、謝罪を受け入れ、許すところまで、全てを見ていたヘーゼルダインは心の底から感心した。

 すごい子だと思った。
 口調は幼児そのものなのに、なんという賢さと公平さだろうと……。
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