紙片に残る面影

最終章/エピローグ「止まっていた時間の先へ」

 あの夜の告白から数日。
 結衣の心には、まだ揺れが残っていた。
 許せない気持ちと、信じたい気持ち。二つの感情がせめぎ合いながらも、彼の言葉は確かに胸に届いていた。

——「結衣、俺は君を愛してる」

 その声が蘇るたび、胸が温かくなり、涙がこぼれそうになる。



 ある金曜日の夜。
 結衣は仕事を終え、オフィスのロビーで悠真を見つけた。
 彼は待っていたかのように立っていて、視線が合った瞬間、静かに微笑んだ。

「お疲れさま。……少し、歩かないか」

 外に出ると、夜風が頬を撫でた。
 街は賑わっているのに、不思議と二人だけの世界に感じられる。

「この五年間……君を探し続けてた」
 悠真の声は低く、けれど真剣だった。
「名前が変わっても、姿が変わっても……どこかで生きてるはずだって。だから、もう一度会えたとき、絶対に離さないと決めた」

 結衣は胸が熱くなり、視線を落とした。
「……私は、逃げてただけ。信じる勇気がなかった」
「それでいい。逃げても、遠回りしても……また出会えた。だからこれからは、一緒に進んでほしい」

 足を止め、悠真が彼女を見つめる。
 その瞳に映っていたのは、美月でも誰でもない。確かに自分だった。

「結衣、君とやり直したい。いや……やり直すんじゃない。新しい時間を、一から共に歩きたい」

 涙が頬を伝った。
 五年前に壊れたと思っていた絆が、今ここで新しく結び直されている。

「……はい。私も、あなたと一緒に」

 震える声で答えた瞬間、悠真が彼女を抱きしめた。
 温もりが全身を包み込み、止まっていた時間がようやく動き出した。



 週末。
 結衣は久しぶりにメガネを外し、鏡の前に立っていた。
 コンタクトは相変わらず苦手だったが、昔彼に勧められて仕方なく使っていた頃を思い出す。
 今は違う。無理に変わる必要はない。

 鏡に映るのは、過去の彼女ではなく、今を生きる自分。
 それでも、隣にいる悠真の視線があれば、不思議と心強くなれた。

「……部長」
「仕事中じゃない。悠真だ」

 少し照れくさそうに笑う彼の顔を見て、結衣は頬を染めた。

 机の端を指先でカリカリとこする。
 変わらない癖。
 それを見て悠真がそっと手を重ねる。

「この仕草を見るたびに思うんだ。……君を二度と見失いたくないって」
「……もう、見失わせません」

 微笑み合い、二人は指を絡めた。



 過去は消せない。
 痛みも、許せない気持ちも、完全にはなくならないだろう。
 けれどそれを抱えたままでも、未来へ進める。

 止まっていた時間は、ようやく動き始めた。
 二人で歩む新しい日々へ。





 春の風が吹き抜ける街角。
 並んで歩く二人の影は、以前よりも少しだけ近づいていた。

 まだぎこちなく、まだ不器用。
 けれど確かに、一歩ずつ未来へ進んでいる。

——愛は誤解に傷つけられても、真実を信じる勇気があれば、再び結び直せる。

 結衣はそう実感しながら、隣の悠真の手を強く握りしめた。
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