その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜
目が覚めると、最初に感じたのは、あたたかくて優しい腕の重みだった。
ぼんやりと昨夜の断片が浮かぶ——湊の部屋、泣きじゃくった自分に「泣いていいよ」と言ってくれた声、そのぬくもり。

(……ほんとに、こんな朝が来るなんて)

湊の胸に、頬が触れている。
彼の腕の中で、静かに呼吸を合わせている。
ぴたりと寄り添うように、まるで、ずっと前から恋人同士だったみたいに。
恥ずかしくて、顔を上げられない。寝たふりをしようかと迷った瞬間――
背中に添えられた腕が、そっと力を込めた。 

「……詩乃さん」

掠れた声が、耳もとに落ちる。
深くて、やさしくて、あのときと同じ声。

「……ごめん。起こしちゃった?」

「ううん……」

思わず首をふると、彼の腕がぎゅっと、少しだけ強くなる。

「詩乃さん、あったかい」

ふいに囁かれたその言葉に、胸がきゅうっと鳴った。

「……なんか、変な感じだね」

「うん。でも、悪くない」

湊の指先が、静かに詩乃の髪をすく。
その仕草がくすぐったくて、でも優しくて、もう一度目を閉じたくなった。
けれどーー。

「……私、変じゃなかった? 昨日……ぐちゃぐちゃだったし」

「ぜんぜん」

湊は、即座にそう言って、微笑む。

「……綺麗でした。俺、ずっと……」

言いかけた言葉は、そこでふっと途切れる。その沈黙に、彼の全部が込められていた。

「……ずっと?」

聞き返そうとしたけれど、湊はただそっと、詩乃の額に口づけた。
それが、優しくて。あたたかくて。
だけど、ほんのすこしだけ――心の奥が、ちくりとした。

(……わたし、なにをしてるんだろう)

ほんの数日前まで、結婚するはずだった人がいた。その現実が、まだどこかで胸を締めつけている。
泣いて、壊れて、そして今――誰かの腕にすがっている。

(これは……逃げなのかな)

答えはわからない。でも、湊の腕の中にいると、すべてがどうでもよくなってしまいそうで。

「……ねえ。もう少しだけ、このままでいてもいい?」

そっと問うように呟くと、彼はためらわずに答えた。

「もちろん。詩乃さんがそうしたいなら……ずっとでも」

嘘みたいに、まっすぐな声だった。
甘くて、やさしくて、少しだけ痛い。
湊は、なにも責めない。
なにひとつ、求めたりもしない。
ただそこにいて、あたたかさだけをくれる。

(ほんとは、少し怖い)

けれど、今だけは――
この静かな幸福に、甘えていたいと思った。
たとえその先に、もう戻れない何かが待っているとしても。
たとえこのやさしさが、あとから痛みに変わるとしても。
今は、ただ、彼の腕の中で眠る朝を、大切にしたかった。
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