不幸を呼ぶ男 Case.3

【渡辺邸・書斎】

部屋の空気が、凍り付いていた
殺し屋が、二人いるかもしれない
その、恐るべき可能性に
黒川も、勇次郎も、言葉を失っていた
その沈黙を
渡辺が、破った
まるで、子供に、言い聞かせるように
渡辺:「……お前たち二人」
渡辺:「今回は、手を組んでみたら、どうだ?」
その、あまりにありえない提案に
黒川と勇次郎は、同時に、顔を上げた
渡辺:「無理にとは、言わん」
渡辺:「だが、総裁選を辞退したのだ。勇次郎、お前は、暇だろ?」
渡辺は
心の底から、楽しそうに、笑った
戸惑う、二人
昨日まで、互いの全てを賭けて、潰し合おうとしていた相手
その相手と、手を組めと、この老人は言う
渡辺:「……一つ、面白いことを、教えてやろう」
渡辺は、茶をすすると
まるで、昔話でもするかのように、語り始めた
渡辺:「お前たち、忍者を知っておるか?」
黒川・勇次郎:「……忍者?」
渡辺:「テレビや、映画の中の、あの派手な格好をした、アレではない」
渡辺:「……本物の、忍びだ」
渡辺の目が
遠い、過去を見ていた
渡辺:「昔、徳川の将軍家にはな」
渡辺:「伊賀や、甲賀といった、忍びの一族が、仕えていた」
渡辺:「彼らは、影として、将軍を守るためなら、あらゆることをした」
渡辺:「諜報、工作、そして……」
渡辺:「……暗殺も、な」
渡辺:「その、血と、技は、今の時代にも、ひっそりと、受け継がれておる」
渡辺:「決して、表の世界には、出てこんがな」
黒川と勇次郎は
ただ、黙って、その荒唐無稽な話に
聞き入っていた
そして
渡辺は、最後の、そして、最も衝撃的な
事実を、告げた
渡辺:「……速水創の、右腕として、常に隣にいる、あの秘書」
渡辺:「……あの男こそが、その、忍者の末裔だ」

渡辺:「……速水は」
渡辺:「殺し屋を、二人、使っておるのかもしれんぞ」
その、静かな一言に
部屋の空気が、凍り付いた
黒川も、勇次郎も
その言葉の、本当の恐ろしさを
瞬時に、理解した
渡辺は、続ける
その目は、もはや
二人を見ていなかった
ただ、盤上の、駒の動きを
読んでいるだけだった
渡辺:「……忍者は、銃など使わん」
渡辺:「奴らの得物は、刀か、毒か、あるいは素手だ」
渡辺:「勇次郎。お前の前に現れたのは、銃を持つ男だったな」
勇次郎は、無言で頷いた
渡辺:「そして、黒川。お前の元には、ナイフが一本」
渡辺:「討論番組が終わった後、お前たちが、いつ自宅に帰るか分からん状況で」
渡辺:「二人を、同時に待ち伏せする」
渡辺:「……一人では、少し、厳しいような気もするな」
渡辺:「……だが、まあ」
渡辺:「これも、可能性の話だ」
その、言葉とは裏腹に
渡辺の目には
「これが真実だ」と、書かれていた
勇次郎は
混乱していた
忍者?殺し屋が二人?
まるで、悪夢を見ているようだ
だが、自分の眉間に突きつけられた
あの、銃口の、冷たい感触だけは
揺るぎない、現実だった
黒川は
背筋に、冷たい汗が流れるのを
感じていた
自分が、やろうとしていたことの、本当の恐ろしさ
自らを「餌」にする?
馬鹿な
相手は、こちらの想像を、遥かに超える
怪物だった
このままでは、ただ、食い殺されるだけだ
渡辺は
ゆっくりと、立ち上がった
渡辺:「……手を組むも、組まないも」
渡辺:「お前たちに、任せる」
渡辺:「ワシは、ただ、場を提供しただけだ」
渡辺:「……もう、この話は、終わりだ」
その一言で
密会は、終わった
影の王は、もう
二人に、興味はないとでも言うように
静かに、襖の向こうへと
消えていった
後に残されたのは
昨日まで、互いを憎み合っていた
二人の、政治家だけ
そして、彼らの前には
あまりにも、巨大で
あまりにも、不気味な
共通の、敵の影だけが
横たわっていた。

沈黙を、破ったのは
黒川だった
彼女は、スマートフォンを取り出すと
大野勇次郎に、画面を見せた
黒川:「……連絡手段を、確保しませんとね」
黒川:「電話も、メールも、盗聴されていると考えた方が、よろしいでしょう」
勇次郎は、無言で頷いた
黒川:「Telegramの、シークレットチャットを使いますわ」
黒川:「ご存知かしら?」
黒川:「エンドツーエンドで暗号化され、サーバーにも記録が残らない」
黒川:「開発者でさえ、中身を見ることは不可能ですの」
勇次郎:「……知っている」
二人は、互いに、ユーザー名を交換し
その場で、シークレットチャットの、ルームを立ち上げた
メッセージが、自動で消えるよう、タイマーをセットする
それは、血の契約書を交わすよりも
遥かに、冷たく、そして、確実な
現代の、同盟の儀式だった
黒川:「……では」
彼女は、スマートフォンをしまうと
静かに、立ち上がった
もう、ここに用はない
部屋を出て
長い、薄暗い廊下を、二人で歩く
先に、口を開いたのは、勇次郎だった
勇次郎:「……車で、送ろうか」
その言葉に、黒川は、足を止めた
そして、彼の方を、振り返らずに、言った
黒川:「敵に、私たちの関係を、教えてあげるおつもり?」
黒川:「……余計な、お世話ですわ」
ちょうどその時
渡辺邸の、重い門の外に
一台の、タクシーが、静かに停まった
黒川が、ここへ来る前に
あらかじめ、ネットで手配していたものだ
彼女は
一度も、勇次郎の方を、振り返らなかった
ただ、まっすぐに、前だけを見て
闇の中へと、歩き出した
そして
二人は、それぞれの戦場へと
帰っていった
敵としてではなく
まだ、名前のない
危険な、共犯者として
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