不幸を呼ぶ男 Case.3
【渡辺邸・書斎】
二人の、憎い敵だったはずの人間の声が
奇しくも、一つに重なった
そして、二人は、互いの目を見る
渡辺:「……概ね、それで、間違いないだろう」
影の王、渡辺辰雄が
静かに、その結論を肯定した
そして
黒川が、口を開いた
その声は、もはや、ただの政治家のものではない
この、命がけのゲームの
盤面を、完全に支配しようとする
プレイヤーの、声だった
黒川:「……私は、今日、一つの賭けをしました」
黒川:「大野さんが、私と同じように」
黒川:「殺し屋に、脅されているのではないか、と」
彼女は、勇次郎の目を、真っ直ぐに見つめた
黒川:「そして、その賭けに、私は勝った」
黒川:「今、この瞬間、私が、この国で、唯一信用できる人間は」
黒川:「皮肉なことに、あなただけになった、ということですわ」
そして
彼女は、自らの覚悟を、告げた
黒川:「もう一つ」
黒川:「私が、このまま、総裁選を辞退しなければ」
黒川:「敵は、私を、殺すために、動かざるを得なくなる」
その、あまりに、過激な言葉
勇次郎は、息を呑んだ
この女は、自らを、餌にするつもりか、と
黒川:「ですが、万が一、私が殺されても」
黒川:「今、こうして、三人で、この事実を共有した」
黒川:「……私の死が、闇に葬られることは、もう、なくなった」
そうだ
彼女が、渡辺邸の門を叩いた、本当の理由
それは
自らの命を「保険」にかけるためだった
黒川:「……あとは」
黒川:「敵が、動いた時に、どうするか」
黒川:「……ただ、それだけですわ」
その、あまりに、冷徹で
あまりに、完璧な、思考
勇次郎は、目の前の女に
恐怖と、そして、畏敬の念を、同時に抱いていた
渡辺辰雄は
その、全てを聞き終えると
枯れ木のような、その唇に
ほんの、わずかだけ
満足げな、笑みを、浮かべていた。
黒川の、命を賭けた、その覚悟に
勇次郎が、声を上げた
勇次郎:「……それは、危険すぎる」
勇次郎:「あの男に、本気で狙われたら、100%、死ぬぞ」
その声には
昨日、彼が味わったばかりの
本物の「死」の気配が、滲んでいた
その会話を、聞いていた
渡辺辰雄が、口を開いた
渡辺:「……勇次郎」
渡辺:「お前が、総裁選を辞退した、本当の理由は、何だ?」
その、全てを見透かすような問いに
勇次郎は、観念した
勇次郎:「……昨夜、自宅に戻ったら」
勇次郎:「殺し屋が、目の前に、座っていました」
勇次郎:「そして、眉間に銃口を突きつけられたまま、こう言われたんです」
勇次郎:「『総裁選を辞退するか、死ぬか、選べ』と」
渡辺は、今度は、黒川の方を見た
渡辺:「……黒川。お前は、ナイフだったな」
黒川:「……はい。私の場合は、書斎の机に」
渡辺は
枯れ木のような指で
畳を、とん、と一つ、叩いた
渡辺:「……速水、か」
渡辺:「……あの男なら、やりかねん」
渡辺:「お前たち二人を、同時に、そして、全く別の手口で脅す」
渡辺:「そうやって、互いに、相手の仕業だと思い込ませて……」
渡辺:「混乱の中で、自滅させるのが、狙いか」
そして
渡辺は、さらに、恐ろしい可能性を口にした
その、鷲のような目が
二人を、射抜いた
渡辺:「……もしかしたら、速水は」
渡辺:「殺し屋を、二人、使っておるのかもしれんぞ」
その、静かな一言に
部屋の空気が、凍り付いた
黒川も、勇次郎も
その言葉の、本当の恐ろしさを
瞬時に、理解した
速水が、雇った、殺し屋
それが、二人
全く別の、二匹の凶暴な獣が
同時に、この暗闘の裏で、放たれている……?
もはや
これは、ただの政争ではない
誰にも、先の読めない
泥沼の、殺し合いが
すでに、始まっていたのだ