不幸を呼ぶ男 Case.3
第二章:ナイフと銃口
第二章:ナイフと銃口


【深夜・走行中の黒川の車内】

黒川皐月は
後部座席で、静かに目を閉じていた
だが、その思考は、猛烈な速度で回転している
やがて、彼女はスマートフォンを取り出し
一つの番号に、電話をかけた
相手が誰なのか
何を話しているのか
運転手には、聞こえない
ただ、最後に
彼女が、こう言ったのだけが聞こえた
黒川:「……じゃあ、よろしく頼みます」
彼女は、一方的に電話を切ると
その口元に
うっすらと、氷のような笑みを浮かべた
【黒川邸】
都内の一等地に佇む
セキュリティが完璧な、黒い豪邸
それが、黒川皐月が住む、城だった
彼女は、書斎の、分厚い扉の鍵を開ける
そこは、彼女以外の誰も
足を踏み入れることのできない、聖域
いつものように
書斎の中央に置かれた、巨大なデスクへと向かう
そして
彼女は、足を止めた
デスクの、ど真ん中に
一本の、ナイフが突き刺さり
黒い柄を、震わせていた
その、鋭い刃の先端には
一枚の、白いメッセージカードが
無残に、貫かれている
黒川は
躊躇なく、そのナイフを引き抜くと
メッセージカードを、手にした
そこには
万年筆で書かれたのであろう
美しく、そして、冷たい文字が
並んでいた
『権力の椅子は、一つ』
『賢明なる貴女が、座るべき椅子を、間違えぬことを、切に願う』
それは
遠回しな、しかし、絶対的な
死の、宣告だった
だが
黒川の目に、恐怖の色はなかった
むしろ
その瞳は
面白いおもちゃを見つけた、子供のように
爛々と、輝き始めていた
黒川:「……早速、来たわね」
彼女は、そのメッセージカードを
まるで、恋文でも読むかのように
愛おしげに、見つめた
黒川:「……大野勇次郎…」
黒川:「いいでしょう。あなたの、その喧喧」
黒川:「……買ってあげるわ」

黒川は
ゆっくりと、デスクの椅子に腰を下ろした
そして
先ほど引き抜いた、一本のナイフを
まるで、美術品でも鑑定するかのように
じっと、見つめた
ごく普通の、戦闘用のナイフ
だが
問題は、そこではなかった
黒川:(……しかし、どうやって、ここに侵入した?)
この屋敷のセキュリティは、完璧なはずだった
二十四時間体制の警備員
壁のように張り巡らされた、赤外線センサー
そして、この書斎の、分厚い扉の鍵は
確かに、かかっていた
ピッキングの痕跡もない
窓も、割れていない
まるで、幽霊のように
壁でもすり抜けて、入ってきたとでも言うのか
黒川は
メッセージカードを、もう一度、見た
『権力の椅子は、一つ』
『賢明なる貴女が、座るべき椅子を、間違えぬことを、切に願う』
黒川:「……意地を張ると、命を落とすかもしれない、か」
彼女は、ふっと、息を漏らした
それは、笑いだった
黒川:(……本物だ)
黒川:(大野勇次郎が、寄越したのは、本物の暗殺者)
そうだ
元総理である、彼の実の父親が
不審な「事故死」を遂げた時も
裏社会では、噂が流れていた
「ファントム」と呼ばれる、伝説の殺し屋の仕業だと
黒川:(……命懸けの、喧嘩になる)
その、事実
その、圧倒的な、死の気配は
彼女を、恐怖させるどころか
逆に、その心の奥底で眠っていた
獣のような、闘争本能を
完全に、呼び覚ました
政治の世界は、生温い
裏切りも、駆け引きも、全ては言葉と金の上で行われる
血の匂いがしない
命のやり取りがない
退屈な、ゲーム
だが
これは、違う
しくじれば、死ぬ
本物の、戦いだ
黒川は
ゆっくりと、立ち上がった
そして
サイドボードから、年代物のブランデーを取り出すと
グラスに、琥珀色の液体を注いだ
その、グラスを片手に
彼女は、窓の外の、東京の夜景を見下ろす
その瞳は
もはや、政治家のそれではなかった
自らの命を賭けてでも
獲物を、八つ裂きにすることを望む
飢えた、雌ライオンの
爛々とした、輝きを、宿していた
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