不幸を呼ぶ男 Case.3

【速水創のペントハウス】

風間の、忍びとしての、第六感が
けたたましく、警鐘を鳴らしていた
その、嫌な予感に従い
彼は、主である速水に、カーテンを閉めるよう、進言した
風間:「……失礼します」
彼が、速水一人にしようと
その場を、離れようとした、その時だった
グシャリ
後ろで、何かが、熟れた果実のように、砕ける、生々しい音がした
そして
カシャン、と
ブランデーグラスが、床に落ちて割れる音
風間が、振り返った
そこには
ソファの上で
頭から、おびただしい量の血を流し
ゆっくりと、崩れ落ちていく
主、速水創の、姿があった
風間は
その、主の元へ、駆け寄った
そして
その場に、膝から、崩れ落ちた
風間の、脳裏に
遠い、過去の記憶が、蘇っていた

--- 風間の回想 ---

物心ついた頃から
父に、言われ続けてきた
「お前は、最後の、忍びだ」と
忍びの、技と、術
その全てを、俺は、父から叩き込まれた
この、血を、絶えさせてはならない、と
やがて、俺は、全ての術をマスターした
だが
この、近代国家において
それは、あまりに、無用の長物だった
俺は、一度、忍びであることを、捨てた
普通の、サラリーマンになり
普通の、生活をし
普通の、恋をし
普通の、結婚をして
一人の、息子が、産まれた
幸せ、だった
人生で、初めて、自分が、ただの人間でいられると、思った
だが
息子は、5000万人に一人と言われる
先天性の、心臓の病を、患っていた
このままでは、小学校に上がる前に、命を尽きるだろうと、医者は言った
助かる道は、一つだけ
海外での、心臓移植手術
その費用、3000万円
俺は、八方手を尽くした
妻も、必死だった
だが、そんな大金、ただのサラリーマンに、用意できるはずもなかった
息子は
6歳の誕生日を迎えることなく
俺の、腕の中で、死んだ
そして
妻も俺も疲れ切り、妻とすれ違い
妻も、俺の元から、去っていった
俺は、全てを、失った
仕事も辞め
ただ、彷徨った
生きる意味も、目的も、なく
そんな、ある日だった
渋谷の、スクランブル交差点で
俺は、一人の男に、出会った
彼は、選挙カーの上で
マイクを握り、叫んでいた
速水創だった
速水:「今の、社会保障制度は、崩壊している!」
速水:「高額な医療費が払えない、ただそれだけの理由で、死んでいく国民がいる!」
速水:「難病の、移植手術代なんてものは、政府が、全て金を出すべきだ!」
俺は、ハッとして、速水を見た
その時
俺には、彼が、神に見えた
もし、この人が、この国を変えてくれたなら
俺の、息子は、死なずに済んだのかもしれない
俺は、その日
初めて、生きる意味を、見つけた
この人を、総理大臣にする
そのために、俺の、この、無用の長物であるはずの
忍びの技を、使おうと
この人の、影になろうと
全てを失った男が
再び、生きる希望を持った
瞬間だった

--- ペントハウス・現在 ---

風間は
冷たくなっていく、主の体を
ただ、抱きしめていた
​そして
彼は、天を仰いだ
その、能面のような顔が
初めて、苦痛に、歪んだ
​「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
​それは
獣の咆哮のようだった
息子を失い
妻を失い
そして、唯一、生きる希望だった、主さえも失った
一人の男の
魂からの、絶叫だった
​その瞳の奥では
静かな、復讐の炎が
今、確かに
激しく、赤く、燃え盛っていた
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