不幸を呼ぶ男 Case.3
第三章:失墜(しっつい)

第三章:失墜(しっつい)



翌日
永田町に、激震が走った
大野勇次郎が、緊急記者会見を開くというのだ
民政党本部には
おびただしい数の、報道陣が詰めかけた
その、喧騒の中
会見場に、大野勇次郎が、姿を現した
その姿に、会場が、どよめいた
昨日までの、あのカリスマに満ちた
若きリーダーの面影は
そこには、なかった
顔は青白く、その目には、深い隈が刻まれている
まるで、一夜にして、十年も歳を取ったかのようだ
彼は、無数のフラッシュを浴びながら
ゆっくりと、演台の前に立った
そして
用意された原稿に、一度も目を落とすことなく
ただ、虚空を見つめながら
話し始めた
勇次郎:「……私、大野勇次郎は」
勇次郎:「本日をもって、民政党総裁選への、立候補を」
勇次郎:「……辞退、いたします」
一瞬の、静寂
そして、次の瞬間
会場は、爆発したかのような、怒号と質問の嵐に包まれた
記者A:「辞退とは、どういうことですか!」
記者B:「昨日までの、勢いはどうしたんですか!」
記者C:「黒川先生との、裏取引でもあったんですか!」
だが
勇次郎は、その、どの質問にも、答えなかった
ただ、力なく、言葉を続ける
勇次郎:「理由は……一身上の都合、としか、申し上げられません」
勇次郎:「……お騒がせしたことを、心より、お詫び申し上げます」
彼は、そう言うと
深々と、頭を下げた
そして
そのまま、踵を返し
会見場から、去ろうとする
記者A:「待ってください!大野さん!」
記者A:「一身上の都合とは、一体何なんですか!」
記者B:「あなたの父、大野元総理の、不審な死と、何か関係があるという噂は、本当なんですか!」
矢のような質問が、彼の背中に突き刺さる
だが
彼は、一度も、振り返らなかった
ただ、亡霊のように、力なく歩き
扉の向こうへと、消えていった
後に残されたのは
答えを失った、報道陣の、興奮と混乱だけ
誰も、知る由もなかった
彼が、昨夜
一人の殺し屋によって
その、政治生命だけでなく
魂そのものを、殺されていたことを



【黒川邸・書斎】

黒川皐月は
自らの城である、書斎のデスクで
優雅に、紅茶を飲んでいた
彼女は、昨夜の出来事を
思い出していた
書斎に突き刺さっていた、一本のナイフ
大野勇次郎からの、宣戦布告
政治家同士の、生温いゲームは終わった
これからは、命のやり取り
その、血の匂いに
彼女は、むしろ、興奮さえしていた
その時
デスクの上の、大型モニターに
【速報】のテロップが、流れた
『大野勇次郎氏、緊急記者会見』
黒川は、ふっと、鼻で笑った
黒川:(……何をする気かしら)
黒川:(昨日の今日で、泣きついてきたのかしらね)
だが
画面に映し出された、大野勇次郎の姿を見て
黒川は、眉をひそめた
そこにいたのは
彼女が知る、あの、自信に満ちた
カリスマの姿ではなかった
ただ、魂が抜け落ちた
抜け殻のような男が
立っているだけだった
そして
彼は、言った
総裁選を、辞退する、と
黒川:「……どういうこと!?」
彼女は
思わず、声を上げていた
昨日
私に、宣戦布告してきたばかりの男が
今日になって
理由も言わず、総裁選を辞退する
黒川:(ありえない……!)
黒川:(あの男が、こんなあっさりと、全てを投げ出すはずがない!)
黒川の、卓越した頭脳が
猛烈な速度で、回転を始める
昨夜の、出来事
控室での、腹の探り合い
そして
この書斎に、突き刺さっていた、ナイフ
黒川:(……待って)
黒川:(もし、あのナイフが)
黒川:(大野勇次郎の、仕業ではなかったとしたら?)
じわりと
彼女の、背筋に
これまで、感じたことのない種類の
冷たい、汗が、流れた
私と、大野
二人の、政治家が
水面下で、壮絶な暗闘を繰り広げている
その、さらに裏側で
この、ゲームそのものを
盤上から、見下ろしている
得体の知れない
**「第三者」**が、いる……?
そいつが
昨夜、私の聖域に、ナイフを置き
そして今朝
大野勇次郎の、心を折った
とでも、いうのか
黒川は
初めて、本当の「恐怖」を、感じていた
それは
ただ殺される、という恐怖ではない
自分が、全く理解できない
圧倒的な、ルールの外側の力によって
自らの運命が
弄ばれているのかもしれないという
底知れない、恐怖だった

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