エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
 あっ、と思うと同時に踵からパンプスが脱げた。私は大きく体勢を崩して、歩道へ倒れ込む。膝と手のひらが石畳に強く擦れる。

 ――痛い、と呆然と思った瞬間、世界が夕やけに染まっていることに気づいた。

 鮮やかなオレンジと、裏腹な暗色の影。強烈なコントラストに彩られた景色。

 眼前の景色は、私の恋が始まった日と同じ色をしていた。それに気づいた刹那、景色がふくりと潤んで、私の頬を涙が伝う。

 あの日、過労で疲弊しきった私は、誰にも巡り会えないまま夕やけの街を歩いていた。だけど履き古したパンプスが脱げて、大きく体勢を崩して、訪れる痛みを覚悟したとき、力強い温もりが私を抱き留めた。

 涙が、夕やけ色の石畳に落ちる。

 私は、血と砂が混ざった手のひらの擦り傷を見つめた。膝にも、同じように擦り傷ができていた。

 本当はあの日に、私は転んでいたはずだった。あの日に、この痛みを受け止めていたはずだった。

 だけど、正俊さんが助けてくれた。だから私は今日までこの痛みを猶予されて――きらめく宝石みたいな、優しい日々を過ごしていた。

 あの日に彼が助けてくれたこと。そこから始まった私の恋を、私はまだ諦めたくない。私が恋したあなたを、まだ諦めたくない。

 私を愛してくれたあなたが偽物なんて、私はまだ信じない。

 ぎゅっ、と擦り傷ごと手を握りしめた。視界を濡らす涙を手の甲で拭って、傷だらけの脚で立ち上がる。

 ショーウィンドウに映り込む私は、ダークグレーのジャケットで、タイトスカートで、髪はひとつ結びで――ありきたりなヒロイン未満。

 だけど、なりそこないのシンデレラなら、魔法使いに出会えなかったなら、それなら自分で魔法をかける。

 私は夕やけの街を駆けた。途中で息が苦しくなったけれど、それでも全力で走った。
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