なりそこないのシンデレラ ~エリート官僚と偽りの婚約!?~

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 すごく綺麗な字を書くひとに、勉強を教えてもらったことがある。

 アルバイト先のカフェの、奥まった隅の席で、よくひとりで勉強をしているひとだった。

 その日、私はお昼から夜までのフルタイムのシフトで、夕方の休憩中に、店内の一席を借りて勉強をしていた。福利厚生の、無料で飲めるカフェオレ1杯。それと、一番お手頃なプレーンのスコーン。少しずつ味わいながら、国語の課題を進めていた。

 ころん、と消しゴムが転がったのは、古文の問題が解けなくて首をひねったとき。
 消しゴムは、隣の席の足元まで転がっていってしまった。すみませんと隣のお客様に声をかけて、消しゴムを取らせてもらうつもりだった。

 だけど、私が声を掛ける前に、隣席のお客様が消しゴムを拾ってくれた。男のひととしては、なよやかな指先だった。

「ありがとうございます」と慌てて頭を下げて、消しゴムを受け取った。それだけで、会話は終わるのだと思った。

 だけど、改めて古文に向き合って、むうと口を曲げたとき、隣のそのひとがちいさく噴き出した。
 顔を上げれば、隣のそのひとは、「ごめんね」と笑みの名残の声で謝った。

「可愛らしい表情をしてたから」

 それを聞いた瞬間に、ぱっと頬に熱が上った。たぶん、解けない問題を睨みながら百面相をしていたのだ。

「和歌の読解が難しくて……」

 言い訳めいた口調で弁解すれば、そのひとは、私の方へ少し上体を寄せた。私の手元の過去問集をしげしげと見て、

「俺でよかったら、解説しようか?」

 控えめな口調で、そんなことを申し出てくれた。

「いいんですか……!?」

 問題が解けなくて困りきっていた私は、飛びつくような勢いで応じた。

「俺でよければ」

 と、そのひとはやっぱり、控えめな口調で答えた。

 テーブルとテーブルをくっつけて、ふたりで過去問集を覗き込んだ。難解な文法を丁寧にかみ砕いた解説は、とてもわかりやすかった。そして、補足としてルーズリーフに書き込まれた文字が、見とれてしまうくらいに綺麗だった。

 アルバイトの休憩時間は1時間。名前も聞かなかったそのひとに、勉強を教えてもらったのはたった30分。

 だけど、その30分を、私は今も忘れていない。
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