なりそこないのシンデレラ ~エリート官僚と偽りの婚約!?~
 一瞬ぎょっとするけれど、一秒遅れて気づく。結城さんが帰ってきたのだ。

 どうしよう、と慌てたのはあからさまに気を抜いていたから。今の私の服装は、生地がくたくた、しかも上下ちぐはぐなルームウェア。着替える――なんて時間はもちろんない。慌てふためいている間に、リビングのドアが無慈悲にひらく。

「おかえりなさい!」

 観念して、ひらき直る気持ちで結城さんを迎えた。
 久しぶりに対面する結城さんは、私と目が合うと、ふっと表情を和らげた。

「ただいま帰りました」

 一週間のうち、私が出勤している間にバスルームやソファが使われていたような形跡はあった。帰宅していなかったわけではないだろうけれど、おそらく満足な休息は取れていない。きっとものすごく疲れているはずだ。それなのに――私に向けられる微笑みは、涼風のように爽やかだ。

「やっと、お会いできました」

 笑みの名残を含んだ声音。まるで、「あなたに会いたかった」――なんて。

 甘やかな台詞を囁かれたみたい。

 そうじゃないとわかっているのに、でも、胸がちいさく高鳴った。

「いかがお過ごしでしたか?」

 結城さんが私に問いかける。目線をこちらに向けたまま、ダークグレーのジャケットを脱ぐ。

「ええと……特に変わらず、いつも通りでした」

 そう答えてから、もっと素敵な、気の利いた回答を返せばよかったと思う。そっと後悔をする私に、だけど、結城さんが穏やかに笑いかける。

「それはよかった」

「え、」

「何の変哲もない毎日が、もしかしたら最も素敵な日々です」

 気負いのない声で、世界が柔らかにふるえた気がした。

 結城さんにつられるように、私もちいさく笑う。その表情のまま、尋ねる。

「結城さんは、どうでした?」

 丁寧に触れ合う視線の先で、結城さんが答えた。

「いつも通りでした」

 言葉に連なる息遣いは笑みの名残。私の心に絡みついたやるせなさが、不意にほどける。

 私は目を瞬いて、ささやかに戸惑う。

 結城さんが同じ空間にいる世界は、肌に触れる柔らかさが違う気がする。
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