エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
横断歩道を渡りきったところで、そっと手を離された。堂々とした石造りのエントランスの、屋号入りの紺の暖簾をくぐったら、途端に世界の肌触りが変わる。私を包む空気が、きめ細やかでかぐわしい。
入ってすぐの一階が、コスメとジュエリーのフロアだった。パウダリーな香りに少し緊張しながら、正俊さんの隣を歩く。
「ブランドやデザインにご希望はありますか?」
「えっと……すみません、あまり詳しくなくて」
アクセサリーとはほとんど無縁の生活を送ってきた。だからわからないのだと素直に打ち明ける。
「それなら、俺が選びますね」
「お願いします……」
小さく頭を下げると、正俊さんは微笑んで、迷いのない足取りで進んでゆく。彼が向かった先は――入口にインカムをつけたスタッフさんが立っている、ハイブランドのジュエリーショップ。私でも、当然名前を知っているようなブランドだ。
「まっ……待ってください、こんなお店で買っていただくつもりはないです……!」
慌てて正俊さんの袖を引いたなら、きょとんとした顔で正俊さんが振り返った。この表情では私が言いたいことはおそらく伝わっていないから、袖を掴んだまま続ける。
「こんな……高価なお店の指輪を買っていただくわけにはいきません。私は一生かかったって、代金をお返しすることができません……!」
洗練されたデパートだから、声のトーンを落として言い募った。正俊さんは涼やかな表情で、「代金を請求するつもりはありませんよ」と答えたけれど、それならなおさら買ってもらうわけにはいかない。
「お手頃価格の指輪で大丈夫です……何なら、デパートじゃなくて、雑貨屋さんに売ってあるような数千円ので構いませんから。薬指に嵌められるなら何でも……私は、あくまでも偽物の婚約者です」
必ず説得するつもりで言い張った。すると正俊さんは、不意に傷ついたような表情をした。
目を見ひらいて口を噤む私に、正俊さんが問いかける。