エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
 眼差しを揺らして戸惑ったのち、背筋をぴんと伸ばして右手を預ける。だって、今この場所で私は彼の『婚約者』なのだから、遠慮するなんて変だ。

 どきどきと変な音を立てる鼓動に困惑していると、くすっ、と正俊さんが優しく笑う。

「左手で、お願いできますか?」

「……えっ?」

 聞き返して、一秒考えたのち、正俊さんの言葉の意味を理解する。つい、利き手である右手を出してしまったけれど、婚約指輪を嵌めるのは左手の薬指だ。

「そ……そうですね、そうしたら……こちらで」

 恥ずかしい――と頬を熱くしながら、右手を引っ込めて左手を差し出す。私の手を軽く握った正俊さんは、反対側の手でスタッフさんから指輪を受け取った。

 そうして、私の薬指へゆっくりと指輪を嵌めてゆく。

 すべらかなプラチナの、柔らかな冷たさ。
 慣れない感覚に、息が止まる。

「……うん、とても似合っていると思います」

 正俊さんに笑いかけられて、はっとして呼吸を取り戻す。自分の指にきらめく美しいダイヤモンドを呆然と見つめると、スタッフさんが笑みを深めた。

「プリンセスカットですから、輝きに気品がありますね」

「……プリンセス?」

「はい。ダイヤモンドのカットの手法のひとつで、基本的にこういったスクエア型になります。カット面が多くなるため、繊細な輝きを放つのが特徴です」

「そうなんですね……」

 スタッフさんの言葉に応じながら、今すぐ消え入りたいような気持ちになった。プリンセスなんて呼称を冠したものを、私が身につけるなんて相応しくない。だって、お姫様なんて私から最も遠い言葉だ。

 他の指輪にしますと言おうとしたところで、けれど正俊さんに先んじられた。

「こちらの指輪にしましょう」

 え、と動揺する私に、彼が言い切る。

「この指輪は、真理菜さんにとてもよく似合っています」

 柔らかな声が耳に届いた途端、突然に泣きたい気持ちになった。
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