エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
リビングのソファで隣り合って座って、正俊さんに昔の話をした。捨てられてしまった本棚のこと。辞めなきゃいけなくなったカフェのアルバイトのこと。奨学金とアルバイト代で何とかやりくりした学生時代。
ただ話しているだけで涙がこぼれて、ちゃんと脈絡のある話になっているのかもわからなかった。
それでも、正俊さんは真摯に私の目を見て、相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。司書を目指す同期生が公務員講座に通う中、夜間の居酒屋のアルバイトを続けたこと。そうしなければ、学費も生活費も払えなかったこと。
正俊さんは私の話にほとんど口を挟まなかったけれど、ひとつだけ、念を押すみたいに私に尋ねた。
「お父様が残して下さった保険金は、1億円だったんですよね?」
「は……はい。うちに説明に来られた保険会社の方がそう言っていました」
「その保険金は、真理菜さんに残されたものですね?」
「受取人は私だったんですけど、私は14歳だったので……芙美子さんが――あ、ええと、新しいお母さんが、受け取りの手続きをしました」
そう答えると、正俊さんの眼差しがすっと険しくなる。
「ということは、新しいお母様が、真理菜さんに残された保険金を使い込んだ」
「……芙美子さんは、血の繋がらない私を育ててくれたので」
おずおずと言い添えると、正俊さんの眼差しがもっと険しくなった。
「新しいお母様が未成年後見人として手続きを行ったのなら、後見人は受取者の最善利益を保持する責任があります。お話を聞く限り、新しいお母様はその責任を果たしていないように思えます」
正俊さんがそう言及した途端に、指先がすっと冷たくなってゆく。
「ご……ごめんなさい……私、芙美子さんの悪口を言ってしまって……っ! 芙美子さんは、お父さんがいなくなったあとも、ひとりで私を育てなきゃいけなかったのに……っ」
私は何て恩知らずなんだろう。正俊さんに話した全部を、今すぐに取り消さなきゃ――。
「ごめんなさい正俊さん、今の」
話は全部忘れてくださいと言おうとしたら、それより早く両手を握られた。そうされて初めて、自分の手がふるえていたことを知った。
「……もう、何も聞きませんから」
痛みを堪えるように目を眇めて、正俊さんがそう言った。それでもまだ呼吸を上擦らせる私に、正俊さんが続ける。
「今聞いた話は誰にも言いません。俺は、真理菜さんの意思を全力で守ります」
力強くて、とても優しい声だった。
彼の温もりを自覚して、手のふるえが徐々に収まってゆく。
「正俊さん……」
呆然と彼の名前を呼んでから、ふと、私たちの関係が縮まりすぎていることに気づく。
「あっ……すみません、もう買い物は終わったのに……。もう、名前で呼ぶ必要はないですよね」
私と彼しかいない場所で、婚約者のふりを続ける必然性はないと思った。だから元通りに、結城さん、と呼び方を戻そうとした。
だけど――。
「真理菜さんが嫌でなければ、そのままで」
控えめな声で、彼が言った。私は考えるより先に、
「嫌じゃないです」
と、答えていた。
小さく笑った正俊さんが、私の手をそっと手離す。
「よかったら、気分転換に散歩でもしませんか? 今日は天気も良いので」
「はい、行きます!」
元気よく返事をして、手の甲で涙を拭った。
ワンピースを、ラフなカットソーとコットンパンツに着替えて、正俊さんと一緒にふたたびマンションを出た。
ただ話しているだけで涙がこぼれて、ちゃんと脈絡のある話になっているのかもわからなかった。
それでも、正俊さんは真摯に私の目を見て、相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。司書を目指す同期生が公務員講座に通う中、夜間の居酒屋のアルバイトを続けたこと。そうしなければ、学費も生活費も払えなかったこと。
正俊さんは私の話にほとんど口を挟まなかったけれど、ひとつだけ、念を押すみたいに私に尋ねた。
「お父様が残して下さった保険金は、1億円だったんですよね?」
「は……はい。うちに説明に来られた保険会社の方がそう言っていました」
「その保険金は、真理菜さんに残されたものですね?」
「受取人は私だったんですけど、私は14歳だったので……芙美子さんが――あ、ええと、新しいお母さんが、受け取りの手続きをしました」
そう答えると、正俊さんの眼差しがすっと険しくなる。
「ということは、新しいお母様が、真理菜さんに残された保険金を使い込んだ」
「……芙美子さんは、血の繋がらない私を育ててくれたので」
おずおずと言い添えると、正俊さんの眼差しがもっと険しくなった。
「新しいお母様が未成年後見人として手続きを行ったのなら、後見人は受取者の最善利益を保持する責任があります。お話を聞く限り、新しいお母様はその責任を果たしていないように思えます」
正俊さんがそう言及した途端に、指先がすっと冷たくなってゆく。
「ご……ごめんなさい……私、芙美子さんの悪口を言ってしまって……っ! 芙美子さんは、お父さんがいなくなったあとも、ひとりで私を育てなきゃいけなかったのに……っ」
私は何て恩知らずなんだろう。正俊さんに話した全部を、今すぐに取り消さなきゃ――。
「ごめんなさい正俊さん、今の」
話は全部忘れてくださいと言おうとしたら、それより早く両手を握られた。そうされて初めて、自分の手がふるえていたことを知った。
「……もう、何も聞きませんから」
痛みを堪えるように目を眇めて、正俊さんがそう言った。それでもまだ呼吸を上擦らせる私に、正俊さんが続ける。
「今聞いた話は誰にも言いません。俺は、真理菜さんの意思を全力で守ります」
力強くて、とても優しい声だった。
彼の温もりを自覚して、手のふるえが徐々に収まってゆく。
「正俊さん……」
呆然と彼の名前を呼んでから、ふと、私たちの関係が縮まりすぎていることに気づく。
「あっ……すみません、もう買い物は終わったのに……。もう、名前で呼ぶ必要はないですよね」
私と彼しかいない場所で、婚約者のふりを続ける必然性はないと思った。だから元通りに、結城さん、と呼び方を戻そうとした。
だけど――。
「真理菜さんが嫌でなければ、そのままで」
控えめな声で、彼が言った。私は考えるより先に、
「嫌じゃないです」
と、答えていた。
小さく笑った正俊さんが、私の手をそっと手離す。
「よかったら、気分転換に散歩でもしませんか? 今日は天気も良いので」
「はい、行きます!」
元気よく返事をして、手の甲で涙を拭った。
ワンピースを、ラフなカットソーとコットンパンツに着替えて、正俊さんと一緒にふたたびマンションを出た。