エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
「真理菜さんっ」

 ミントグリーンのドレスの裾をふわりと揺らしながら、紗良さんがこちらへやってくる。

「あっ……ごめんね直人くん、真理菜さんとお話中だった?」

「いや、もう終わった」

 神楽坂さんは素っ気ない口調で返すと、紗良さんと目を合わせないまま立ち去った。向かった先が会場の方向じゃなかったけれど、どこに行ったんだろう。

 ほんの少しだけ気になったけれど、彼との会話が終わって安堵する気持ちがあったから、深くは考えなかった。

 どこか寂しげな眼差しで神楽坂さんの背中を追った紗良さんは、静かにまばたきをしたあと、私に向き直る。
 紗良さんは、私の目を見てふわりと笑った。

「気疲れしてない?」

 つい先程、神楽坂さんに投げかけられた質問と同じだった。同じ質問なのに、紗良さんの言葉は水の手触りみたいに柔らかくて優しい。

 無色透明に透き通った、何の含みもない心遣い。

 差し出された厚意が真っ直ぐだったから、身構えていたぶん反対にうろたえてしまった。思わず眼差しを揺らしたら、紗良さんがぎゅっと眉根を寄せる。

「父に余計なことを言われた?」

「えっ……?」

 ――結城くんのことは、うちの婿になってくれるよう随分と口説いたんだが……。

 事務次官の言葉を思い出して、動揺した声が出た。そんなことないですと慌てて否定しようとしたけれど、それより早く、紗良さんが申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「やっぱり……。何を言ったか知らないけど、気にしなくていいからね」

 きっぱりとした口調で言った紗良さんは、はあと重たいため息を吐いた。

「父は私に甘いから……どうしても私の恋を叶えようとして、先輩に色々と言っていたの」

 紗良さんの口から語られた、恋という言葉に視線が揺らめく。私が何も言えないでいると、紗良さんは慌てたように言葉を重ねた。

「ああ……ええとね、もうとっくの昔に振られているの。全然、可能性すらなかったの」

 柔らかくて優しい笑顔。

 だけど、笑顔の中にほんの少し切なさを溶かして、紗良さんは続けた。

「先輩が愛しているのは真理菜さん。父だって、本当はわかっているのよ」

 花びらが落ちるくらいの速度でまばたきをしたあと、紗良さんは何の含みもない声で言った。

「真理菜さん、婚約おめでとう。縁があってあなたと親しくなれたこと、とっても嬉しく思うわ」

 胸の内に、低い心音がひとつ墜落する。

 紗良さんの眼差しを彩るアイシャドウの、花びらの色のきらめきは見惚れてしまうくらいに綺麗だ。
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