エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
 お手洗いに向かう紗良さんと別れて、会場に戻った。正俊さんは、私が戻ったことにすぐに気づいた。すぐに私の方へやってきて、私のことを心配してくれた。

「やっぱり、気分が優れないんじゃないですか?」

 正俊さんの言葉に、大丈夫ですと緩く首を振った。そうして笑おうとしたけれど、上体を屈めた正俊さんが私の目を覗き込む。

 正俊さんの影が視界を染めて、にわかに近づいた距離に息を呑めば、彼の指先が頬に触れた。

「顔色が悪いように思えます」

 触れた指先は、頬にかかっていた後れ毛をそっと梳いて、離れた。大丈夫ですと繰り返す私の目を見つめて、彼はわずかに眉根を寄せる。

「大丈夫には見えないな……少し早いですが、お暇しましょう」

「でも……っ、事務次官にご招待されたパーティーなのに」

 事務次官は、省庁に勤める国家公務員のトップ。そんなひとに直々に招待されたパーティーの途中で帰ったりしたら、部下である正俊さんの評価に傷が付いてしまうかもしれない。

 泣きたい気持ちで正俊さんを見上げたら、彼は私を安心させるように微笑んだ。

「事務次官には俺から話してきます。ご心配には及びません、仕事に私情を挟むような方ではありませんから」

 会場内をさりげなく見回した彼は、壁際にある二人がけのソファを手のひらで示した。

「少し、あちらで休んでいてください。事務次官と、篠宮さんにも声を掛けてきます」

 彼にそう言われたのに、私は立ち尽くしたまま動くことができない。
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