エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
夢を見る、というのがどういうことか、ちゃんとわかっている。私はもう大人だ。行動には意思や責任が伴うことを知っている。
柔らかな絨毯の上を歩いて、廊下の突き当たりの部屋に入った。オートロックで扉が閉まって、私は彼とふたりきりになる。
扉の開閉音の、その残余が消えたあと、神楽坂さんはずっと優しかった。
室内に灯る照明の、暖色の光が彼の眼差しに映り込む。
ずっと、彼の瞳は仄暗くて冷たい色をしていると思っていた。だけど、今のこの瞬間、彼の眼差しが優しいと思った。
床に敷き詰められた絨毯が、私たちの足音を包み込む。彼は私の手を引いて、窓に近い方のベッドへいざなった。私は手を引かれるまま、ベッドのふち、まるで糸が切れた操り人形のように彼の隣に腰掛ける。
彼が私に視線を向ける。まばたきに伴う睫毛のふるえが、はっきりと見て取れる距離。
彼の瞳が冷たいとき、いつも私の視線を強引に奪った。逸らしたいのに、逸らすことを許されない。緩やかで、だけど確かな圧を感じていた。
でも今は、彼から視線を逸らすことができた。愛の物語がもっとも高揚するとき、裏腹に慄く刹那みたいに、瞳を揺らめかせながら視線を逸らした。
ふ、と彼が微かに笑う。
「酷いことはしません。だから、怖がらないで」
優しい声が私をあやす。淡い影をまとった指先が私のこめかみに触れる。
指先は、ひどく丁寧に私の髪を梳いた。そのまま耳横を伝って、親指で私の頬を撫でる。
「真理菜さん」
少しだけ掠れた声が私を呼んだ。思わず彼の眼差しを見てしまったら、その刹那、彼の影が私の視界を染めた。
視線が重なり、溶け合う。そのまま、神楽坂さんは私に顔を寄せた。
息が触れ合う距離で、優しい眼差しのまま彼が囁く。
「愛しています。……真理菜さん」
私を見ているのに――彼は私を見ていない。
揺らめく水膜に似た透明が、私たちの世界を隔てる。
不意に、水の手触りみたいに優しい言葉を使う、紗良さんのことを思い出した。
柔らかな絨毯の上を歩いて、廊下の突き当たりの部屋に入った。オートロックで扉が閉まって、私は彼とふたりきりになる。
扉の開閉音の、その残余が消えたあと、神楽坂さんはずっと優しかった。
室内に灯る照明の、暖色の光が彼の眼差しに映り込む。
ずっと、彼の瞳は仄暗くて冷たい色をしていると思っていた。だけど、今のこの瞬間、彼の眼差しが優しいと思った。
床に敷き詰められた絨毯が、私たちの足音を包み込む。彼は私の手を引いて、窓に近い方のベッドへいざなった。私は手を引かれるまま、ベッドのふち、まるで糸が切れた操り人形のように彼の隣に腰掛ける。
彼が私に視線を向ける。まばたきに伴う睫毛のふるえが、はっきりと見て取れる距離。
彼の瞳が冷たいとき、いつも私の視線を強引に奪った。逸らしたいのに、逸らすことを許されない。緩やかで、だけど確かな圧を感じていた。
でも今は、彼から視線を逸らすことができた。愛の物語がもっとも高揚するとき、裏腹に慄く刹那みたいに、瞳を揺らめかせながら視線を逸らした。
ふ、と彼が微かに笑う。
「酷いことはしません。だから、怖がらないで」
優しい声が私をあやす。淡い影をまとった指先が私のこめかみに触れる。
指先は、ひどく丁寧に私の髪を梳いた。そのまま耳横を伝って、親指で私の頬を撫でる。
「真理菜さん」
少しだけ掠れた声が私を呼んだ。思わず彼の眼差しを見てしまったら、その刹那、彼の影が私の視界を染めた。
視線が重なり、溶け合う。そのまま、神楽坂さんは私に顔を寄せた。
息が触れ合う距離で、優しい眼差しのまま彼が囁く。
「愛しています。……真理菜さん」
私を見ているのに――彼は私を見ていない。
揺らめく水膜に似た透明が、私たちの世界を隔てる。
不意に、水の手触りみたいに優しい言葉を使う、紗良さんのことを思い出した。