エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~

*5章* 私が記す物語

 夜の色合いの幕が下りる。夕やけのオレンジは呑み込まれて、私たちの偽りの恋が始まったあの日の景色が終わった。

 は、と私は息を吐いた。早足で進んできた歩調を緩める。私の正面には、正俊さんのマンションがある。

 鍵はもう返してしまったから、インターホンを鳴らすしかない。正俊さんが応じてくれるかはわからないけれど、もうそれしか方法がない。

 決意を新たにして、もう一歩靴先を進めたとき――マンションの風除室から、ひどく慌てた様子で駆け出してきた人影があった。

「正俊さん……」

「……っ、真理菜、さん……」

 息を切らした彼は、私を見て動揺していた。彼と視線が重なって、泣きたくなって、私は思わず立ちすくんだ。そんな私に詰め寄る勢いで、正俊さんが私の両肩を掴んだ。

「何もされていませんか!?」

「えっ?」

「あいつに……神楽坂に、何か……っ」

 息を乱しながら問う彼に気圧されながら、「何もされていません」と答えた。

 その途端、正俊さんがはあっと息を吐く。私の肩から手を離した彼は、そのまま石畳に片膝を突いて、肩で息をしながら眉根を寄せた。

「すみません……エレベーターを待てなくて、階段を使ったので」

「14階から……!?」

 私がぎょっとすると、正俊さんは息を乱したまま苦笑した。

「そうですね。エレベーターを待った方が、結局は早いのに」

 気が動転していて――と彼は続けた。そうして呼吸を整えながらゆっくりと立ち上がると、私を見て、ぎこちなく笑った。

「俺のせいで、またあなたを傷つけてしまうのかと思って」

「え……?」

「神楽坂が、連絡をしてきたんです。あいつがあなたに近づいたのは、俺への当てつけだったって」

 私が目を見ひらくと、正俊さんは裏腹に目を眇める。

「神楽坂とは、少し……因縁があるので。俺のせいでまた、あなたを傷つけるわけにはいかないから」

 そこで言葉を切った正俊さんは、乱れた髪を乱雑に撫でつけて苦笑する。

「何もなかったならよかった。俺は、あいつに揶揄われたみたいですね」

 正俊さんは苦笑したまま、私に向き合った。
 そうして、表情を優しくする。

「神楽坂は学生の頃から頭が切れて、随一の社交性を持っていました。今は新聞社の御曹司としても、社会部の記者としても優秀です。あなたが彼に恋をするなら、あなたはきっと幸せになれます」

 正俊さんは何の含みもない、真摯な声でそう言った。

 私が神楽坂さんと婚約しても平気なのだとも彼は言った。だから、私の恋は叶わない。それはもう、十分過ぎるほどにわかっている。

 それでも私は、あなた以外の誰とも恋はできないのだと思い知った。
 だから、ちゃんとあなたに恋を伝える。この思いが叶わないのだとわかっていても、伝えることを諦めない。
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