エリート官僚と偽りの婚約 ~魔法が解けるまで、あなたと仮初の恋をします~
 かたん、とシックなダークグレーの小箱が床に落ちた。日曜日の昼下がり。寝室を二人で使うようになったから、部屋の模様替えを行っているときだった。

 小箱の中から、とても綺麗なネクタイピンが転がり出て、箱を落とした私は大いに慌てる。

「ご……ごめんなさい! 傷ついてないですかね!?」

 透き通った紫色の石があしらわれたネクタイピン。両手で拾い上げた私に、正俊さんは気軽な口調で言った。

「大丈夫。使ってないものだから」

 声は穏やかだったけれど、正俊さんの眼差しに不意に切なさが過った気がした。ネクタイピンを私から受け取った彼はすぐに元の表情に戻ったけれど、ほんの一瞬の眼差しがどうしても気になってしまった。

 おずおずと正俊さんを窺っていると、彼は根負けしたように苦笑した。

「真理菜さんには、隠せませんね」

 ひとつ、ゆっくりとまばたきをした彼は言った。

「父がくれたものなんです」

 私は、小さく目を見ひらく。
 正俊さんのお父様。お父様は、望ましい道に進めなかった正俊さんを見放したのだという。

 ――失望させるだけです。文科省職員である俺が何を話したところで。

 頑な声でそう言い切った、正俊さんの表情を覚えている。

 だから軽々しいことは言えなかった。言葉を探して視線を揺らすあいだに、私を、正俊さんの言葉が追い抜かす。

「大学の卒業式の日に貰いました。兄も、就職前にネクタイピンを貰っていて……」

 彼は、目を伏せて微笑んだ。

「見放しても……律儀な人だから、俺にも用意をしてくれました」

 その瞬間、正俊さんの声が途方もない切なさをはらむ。

 何か、彼に言葉を掛けたかった。
 でも、何を言っても軽々しいような気がした。

 私はぎゅっと眉を寄せて、ネクタイピンを持つ彼の手に自分の手を重ねた。何も言うことはできなかったけれど、彼の心に少しでも寄り添っていたいと思った。

「……ありがとう」

 正俊さんは、先程よりも少し柔らかく微笑んだ。
 そうして、私を引き寄せて抱きしめた。
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