十年越しの初恋は、永遠の誓いへ

第十二章 不意の優しさ

 翌朝。
 泣き腫らした瞼を隠すように厚めのメイクを施した。
 けれど、自分ではわかる。
 ――鏡に映る私は、誤魔化しきれていなかった。

 「大丈夫。仕事に集中すれば……」
 そう自分に言い聞かせ、オフィスへ向かう。



 午前の会議は淡々と進んだ。
 私は発言を控え、目立たないように振る舞った。
 けれど、その静けさを破るように、彼の声が響いた。

 「……西園寺、顔色が悪いな」

 「え……」
 不意に名前を呼ばれ、息が止まる。

 「無理をするな。体調が優れないなら早退していい」
 冷静な口調。
 それでも、その視線は真剣で、どこか心配を滲ませていた。



 「だ、大丈夫です」
 慌てて首を振ると、彼は一瞬だけ目を細めた。

 「……そうか」
 短い返事のあと、何事もなかったように会議を続ける。

 なのに、その一言が胸の奥に残って離れない。
 突き放すのに、どうしてこんなふうに優しいの。



 昼休み。
 デスクに戻ると、いつの間にか私の席に紙コップのコーヒーが置かれていた。
 温かさがまだ残っている。

 「え……これ」
 周りを見渡すと、廊下の奥に藤堂部長の背中が見えた。
 振り返りもせずに、ゆっくりと歩いていく。

 「……」
 言葉を失い、ただコーヒーを見つめた。

 黒い液面に映る自分の顔は、かすかに震えていた。



 その日の帰り際。
 荷物をまとめていると、不意に声がかかった。

 「送る」

 振り向けば、彼が立っていた。
 「い、いえ大丈夫です! 駅まで近いので」
 慌てて断ろうとするが、彼は静かに首を横に振った。

 「……夜道は危ない」

 それ以上の説明もなく、彼は私の歩調に合わせて黙って歩き出した。



 傘を差す彼の肩に、ふと雨粒がかかった。
 「部長……」
 思わず声をかけると、彼は軽く首を振る。

 「俺はいい。君が濡れなければ」

 その一言に、胸が熱くなる。
 ――まただ。
 拒絶するのに、どうしてこんなふうに優しくするの。



 駅に着いたとき、彼は短く告げた。
 「気をつけて帰れ」

 背を向けて去っていく背中を、私はしばらく見送っていた。
 涙がにじむ。

 「……ずるい」
 呟いた声は雨にかき消される。

 突き放す言葉よりも、こんな小さな優しさの方がずっと心を揺さぶる。
 それをわかっていて彼は――。



 胸の奥が、また強く痛む。
 「もう、どうすればいいの……」

 十年前から変わらない。
 彼は私を拒みながら、同時に誰よりも優しくしてしまう人。
 ――だからこそ、忘れられない。
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