十年越しの初恋は、永遠の誓いへ

第十九章 囁かれる影

 眠れぬ夜を越えた翌朝、鏡に映る顔はひどくやつれていた。
 「これじゃ、また心配されてしまう……」
 そう呟きながら化粧を重ねても、赤く腫れた瞼は隠しきれない。

 会社に着くと、いつものざわめきがやけに遠く聞こえた。
 けれど私が通り過ぎると、そのざわめきが一斉に小さくなる。
 ――囁き声。
 それが全部、自分に向けられていると直感した。



 「聞いた? 西園寺さんと部長、やっぱりただの上司と部下じゃないって」
 「だってさ、この前のプレゼン、あんなにフォローしてもらって」
 「それだけじゃないよ。夜も一緒にいたの、見た人がいるらしい」

 足が止まった。
 夜――?
 確かに、先日帰り道を送ってもらったことはあった。
 けれど、それがもう「事実」として囁かれている。

 喉がカラカラに乾く。
 呼吸すら苦しい。



 「……西園寺さん」
 背後から佐伯の声がして、思わず振り返る。
 「大丈夫?」
 彼の瞳に心配の色が浮かんでいた。

 「……大丈夫です」
 微笑もうとするが、うまく笑えなかった。

 佐伯は何も言わずに、ただそっと私の手から資料を受け取り、代わりにコピー機にかけてくれた。
 その優しさが余計に胸を締めつける。



 午後、廊下を歩いていると、ふいに立ち止まる人影があった。
 ――藤堂部長。
 「西園寺」
 低い声で名を呼ばれ、心臓が大きく跳ねる。

 けれど周囲の視線を意識した瞬間、私は思わず一歩後ずさった。
 その動きを見た彼の表情が、わずかに歪む。

 「……今、噂になっているのは知ってるな」
 「……はい」
 声が震える。

 彼は一瞬言葉を探し、そして低く呟いた。
 「気にするな」

 それだけを言い残し、背を向けた。



 「気にするな」――そんなの無理だ。
 影のようにまとわりつく囁きは、日ごとに重さを増していく。

 昼休みも、休憩室に入れば静まり返る。
 エレベーターに乗れば、ひそひそと笑い声が背中に突き刺さる。
 孤立していくのを肌で感じていた。



 夜、自宅の窓辺に立ち、街の灯を見下ろす。
 「どうして……」
 ぽつりと零れた声は、雨音にかき消された。

 噂は影のように広がり、私の足元を飲み込んでいく。
 抗おうとしても、消し去ることはできない。

 ――十年前の影に縛られ、今は噂という影に覆われている。
 私はまた、一人で戦わなくてはならないのだろうか。
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