氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 ハインリヒはここ数年、益々(ますます)母親であるセレスティーヌに似てきていた。こんな青白い顔を見ると、晩年のセレスティーヌを思い出す。だが、セレスティーヌは自分の顔を見るたびに、なぜだかいつも忍び笑いをしていた。
 その思い出し笑いをこえらるような行為は、亡くなる直前まで続いていた。結局、何がおかしくて笑っているのか理由を聞けないまま、セレスティーヌは()ってしまった。

 そのことを思い出すと、今、目の前にいるハインリヒの方がよほど病人のように思えてくる。
 左手の手袋を引き抜き、こちらには傷がないことを確かめる。不意に手の甲の龍のあざが目に入った。

 このあざは龍に(しば)られた(あかし)だ。その証を受けた者は、消せぬ呪いのように何人たりとも逃れることは許されない。
 こんなにも多くの人間の犠牲の上で成り立っている平和など、何の意味があると言うのか。

 バルバナスははずした手袋を左手だけはめ直して、ハインリヒの手を解放した。

「アデライーデなら、向こうの控室にいる。ブシュケッターのお気に入りにまかせてあるから、心配すんな」

 頭にポンと手を置くと、ハインリヒははっとしたようにバルバナスの顔を見た。まるで、今その姿を認めたかのように。

「あれはお前のせいじゃねぇ。悪いのはすべて龍だ。アデライーデもそのことは飲み込んで、もう前を向いて生きている。だからお前が気に病むことは何もない」

 ハインリヒが笑わなくなったのは、あの事件が起きてからだ。だが()()()()()、誰が予測し得たというのか。それをハインリヒだけに背負わせるのは、(こく)以外の何物でもない。

「今まで通りアデライーデのことはオレに任せておけばいい」
「伯父上、わたしは……」

 ハインリヒは苦しそうに顔をゆがませた。唇をかみしめ、再び(こぶし)をきつく握ろうとする。

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