氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 その言葉の直後、立ち止まって振り返ったレミュリオの顔面(がんめん)目がけて、カイは素早く(こぶし)を繰り出した。(かざ)()(おん)を立てたその拳は、その端正な顔の(すん)でで止められる。

「……無駄な殺生(せっしょう)は感心しませんね」

 身じろぎひとつしなかったレミュリオの声が、静かな廊下に響く。カイは拳を開くと、閉じ込めていた羽虫(はむし)を一匹、その手のひらから解放した。弱々しい軌道(きどう)(えが)きながら、羽虫は肌寒い廊下の奥へと飛んでいく。

「おや? カイ・デルプフェルト様は、思いのほか慈悲(じひ)(ぶか)いお方のようですね」
「どうせ冬を()せない(いのち)だ。オレがどうしようと結末(けつまつ)は変わらないよ」

 その返答に口元に笑みを作ったレミュリオは、再び長い廊下を歩き始める。その後は会話も(はず)まないまま、目的の扉の前と到着した。

 地下の奥まった薄暗い廊下の突き当りに、その部屋はあった。過去に降りた龍の託宣の記録がすべて眠るこの部屋は、(つね)ならば、新たな託宣が下りたその時にのみ開かれる。今回は王太子の申請により、王と神殿が双方許可したという形だ。

 鍵穴どころかドアノブすら見当たらない扉の前で、レミュリオはしみひとつないその手をゆっくりとかざした。手のひらがわずかに青銀色に輝くと、それに反応したかのように、目の前の扉はひとりでに開いていく。

 ここ十年以上、龍から託宣は降りていない。だが、開け放たれた部屋の中は清々(すがすが)しいといえるほどの空気感だ。

「時間は正午まで。記録は持ち出すことも書き写すことも厳禁です。それ以外はどうぞご随意(ずいい)に」

 道を譲るように一歩退(しりぞ)いたレミュリオの脇を抜け、カイはその書庫へと足を踏み入れる。(ただよ)清廉(せいれん)な気に、カイの顔は無意識にしかめられた。

「ああ、ここは青龍の気で満ちている……」

 後から入ってきたレミュリオが、瞳を閉じたまま感嘆混じりに部屋を見回した。書庫の風景は見えずとも、その気の流れは把握できるのだろう。

「本来なら、監視などなくてもよいのですがね。上が黙っていないもので、どうかご容赦を」

 邪魔にならないように壁際に移動したレミュリオは、書庫の(まと)う空気に身を任せるかのように、リラックスした様子で壁にもたれかかった。これ以上は会話をする気もないようだ。

 そんなレミュリオには目をくれず、カイは膨大な書物が眠る(たな)の前と移動した。

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