氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 は、の形のままでリーゼロッテの口が固まった。言われた言葉を咀嚼(そしゃく)するまで時間がかかる。

「カイ坊ちゃまって、その、カイ様のことなのよね?」
 聞き間違いではないかと、念のために聞いてみる。

「はいぃ。デルプフェルト侯爵様はぁ、ぶっちゃけ手の(ほどこ)しようのないくらい女好きでいらっしゃるのでぇ、このベッティを含めて、今いる兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)、みいんな母親が違うんですよぅ」
「え? でも、それじゃあベッティは侯爵令嬢ってことでしょう?」

 その身分があれば、下位の伯爵令嬢である自分の世話などする必要はないだろう。

「わたしはいわゆる庶子ってやつですのでぇ。一応は淑女教育も受けたんですよぅ。ですけど母親は平民も底辺な人間でしたしぃ、市井(しせい)で生まれ育ったわたしも今さら貴族社会になじめなくてですねぇ。結局言葉遣いもこんな感じでなおすことはできなかったんですよぅ。だからこうやって働いている方が(しょう)に合ってるんですぅ」
「そう……」

 悲しそうな顔をして、リーゼロッテはそう言ったまま押し黙った。ベッティはこういうリーゼロッテが大嫌いだ。誰からも望まれて何でも持っている、そんな苦労知らずの者が向けてくる無遠慮な哀れみが、ベッティは死ぬほど嫌いだった。

 ベッティは母親を亡くした後、人には言えないような悲惨な生活を送っていた。生きるために人殺し以外は何でもやった。あの時カイが現れなかったら、いずれは人を(あや)めていたかもしれない。

 だからこそ思う。今のこの生活は天国のようだ。カイに拾ってもらった命だから、カイにすべてを(ささ)げよう。そう心に決めて、自分が望んでカイの元、諜報員(ちょうほういん)のようなことをしているのだ。
 そのために必死に努力をしてきた。カイの役に立つために。それは言い知れないほどのよろこびだった。カイの役に立てる。それだけでベッティはしあわせなのだから。

 それを彼らはみな、なんてかわいそうな子だと哀れみの目を向けてくる。さげすまれて罵倒(ばとう)されるよりも、それがたまらなく不愉快だ。人のしあわせを、お前のものさしではかるな。大声でそう叫びたい。

「わたしは今満足してますよぅ。人のために生きるというのは思いのほかしあわせなものなんですぅ」

 しかし、リーゼロッテは重要保護対象として扱うようにと、カイから任を受けている。悪態を投げつけたい気持ちをこらえて、ベッティはぽつりとそれだけを口にした。

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