氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
「ふぅ、危ないところでしたぁ」

 本棚が完全に戻ったところで、ベッティが大げさな手つきで額をぬぐった。ジークヴァルトがあのまま暴走していたら、それ以降はベッティに止めることなど不可能だったろう。

 こんなにも無防備なリーゼロッテを前にして、ジークヴァルトがどれだけ我慢に我慢を重ねているかは、ベッティの目から見ても涙ぐましいものがある。

 そこをもって、異形の邪魔が入らないこの王妃の離宮で、口づけなど交わそうものなら、ことがそれだけで終わるはずもない。
 (たが)が外れた男ほど手に負えないものはない。それを分かってないのは、それこそ当のリーゼロッテくらいだ。

「ええ、本当に危ないところだったわ」

 しかしその横で、リーゼロッテはもっともだというように頷いた。ベッティがおや? という顔をすると、リーゼロッテは訳知り顔でベッティを見やった。

「わたくし、もう少しでまたお腹が鳴ってしまいそうだったの。あのタイミングでベッティがこちらに連れてきてくれなかったら、本当にどうなっていたことか……」

 両手を取られ、心から感謝の意を伝えられたベッティは、しばしぽかんとなった後、へにゃりと相貌を崩した。

「リーゼロッテ様はぁ、いつまでもそのままでいてくださいましねぇ」
「え? ええ、ありがとう……?」

 よくわからないがとりあえずお礼を言っておけなリーゼロッテを前に、ベッティはひとり頷いた。

 公爵に対しては同情して有り余るが、この王妃の離宮で騒ぎを起こすのだけはご遠慮願いたい。これ以上カイの負担を増やさぬためにも、何が何でもリーゼロッテの貞操を守り抜かなければ。

「ご安心くださいましねぇ。このベッティが、命に代えてもお守りしてさしあげますよぅ」
「え? このお部屋に異形は入り込めないのでしょう?」

 びっくりしたように問うリーゼロッテに、「もちろんですぅ」とベッティはにっこりと笑顔を返した。

(あなた様の最大の危険は、ジークヴァルト・フーゲンベルクなのですよぅ)

 不適の笑みをたたえるベッティを前に、リーゼロッテはただ不思議そうにこてんと顔を傾けた。


 戦いの火蓋は切って落とされた。ジークヴァルトとベッティの水面下での攻防は、リーゼロッテに知られることなく、その後静かに行われるのであった。

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