寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
 あの夜会で突如襲った(くれない)(けが)れは、言いあらわせないほどの恐怖だった。それと同時に、自分の身から溢れた力に、底知れないものをリーゼロッテは感じていた。あの穢れを消し去ったのは、いまだ自分を守っているという母の助力によるものだろう。だが、あの力の(うず)は、この身の内から放たれた。

 自分の手のひらをじっと見つめる。マルグリットはただそれを導いただけだ。溢れた緑の感覚は、まだ確かに残っている。

(あの力は、わたしのもの。今も、ここにあるはずの――)
 ぎゅっとその手を閉じた。つかみどころのない緑はふわりと広がり、そのまま大気に溶けていく。

 身につけている淡い水色のドレスに目を落とす。美しい刺繍には細かく青いビーズが縫い込まれていて、ビーズに見えるそれはひとつひとつが小さな守り石だ。

 胸に光る首飾りも、耳に揺れるイヤリングも、結われた髪に差し込まれた(かんざし)も、すべてがジークヴァルトの守り石でできている。こうして離れていても、自分はずっと守られたままだ。

「……ありがとうの反対の言葉は何か、エラは知っている?」

 ふいの問いかけに戸惑いながらも、エラは何か言葉を返そうとした。その時、テラスの扉が開かれ庭園へと促す声がかけられる。

「行きましょう。王太子妃殿下のお招きですもの。粗相(そそう)があってはいけないわ」
 そのまま会話は打ち切られ、ふたりは庭園へと足を踏み入れた。

 見渡す庭園は雪をかぶっているものの、行く小道はさほど寒さを感じない。この国では寒さ対策として、地熱や温泉水が利用されている。そんなことを知ったのもつい最近の事だ。

「うわさには聞いていましたが、王妃様の庭園は素晴らしいですね」
「そうね。今の時期は雪化粧がされていて本当に美しいわ」

 前回ここを通った時は、まだ異形の存在を知らなかった。あの日きっと自分は、大勢の小鬼を引き連れていたのだろう。積もった雪から顔をのぞかせるいくつかのオブジェを横目で見ながらそんなことを思った。

(今思うと、倒れたオブジェも異形のせいだったのよね)

 あの日、オブジェを破壊しながら歩いたことを申し訳なく思いながらも、やはりあれは自分のせいではなかったのだと何食わぬ顔で通り過ぎる。
 ちらっと見やった先の茂みの合間から、小さな異形がのぞき込んでいた。

「どうかなさいましたか?」
「弱い異形の者がそこにいるわ。星読みの間は異形が入れないと聞いていたけれど、この辺りにはちらほらいるようね」

 王妃の離宮は王の加護が厚く、異形の者は易々(やすやす)とは近づけない。だが、王妃が人を招くためのここは王城に一番近い所にあり、人の出入りも多い場所だった。

「異形の者は人が集まる場所に多くいるそうだから、以前のわたくしみたいな人間が連れてきてしまうのかもしれないわね」

 神妙に頷きつつも、エラは一生懸命茂みの先を見やっている。異形がいたずらに葉を揺らしているが、エラの目にはきっと風が吹いているようにしか見えないのだろう。

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