寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
     ◇
 文机(ふづくえ)に向かい、リーゼロッテはぼんやりとしたまま、幾度目かのため息をついた。義父のフーゴに宛てた手紙を書こうとするも、先ほどから一向に筆が進まない。

「お嬢様……何かお悩み事でもございますか?」

 エラにそう声を掛けられ、リーゼロッテはあきらめて握っていたペンを机の上に戻した。
「少し話を聞いてくれる?」

 沈んだままのリーゼロッテの言葉に、エラはもちろんですと頷いた。

「え? 夜会でイザベラ様がまた絡んでこられたのですか?」
 アルフレートを胸に抱きながら、リーゼロッテは隣に座るエラに向けて頷いた。
「でもそれはいいの。ジークヴァルト様はイザベラ様を相手にはなさらなかったから」
 リーゼロッテの言葉にエラは安堵した。

「それならよかったです。では、お嬢様は一体何を(うれ)いていらっしゃるのですか?」
「この前のお茶会で、イザベラ様がおっしゃっていたように……」

 リーゼロッテは一度ゆっくりと呼吸をして、震える声で続きを口にした。

「わたくしね、ジークヴァルト様に、一度も名前で呼んでいただけたことがないの。本当に、ただの一度も……」

 (おおやけ)の場なら、家名で呼ばれるのも不思議ではない。だが、身内しかいない場所でも、ふたりきりの時でも、ジークヴァルトが自分の名前を口にすることは、一度たりとてなかった。

「お嬢様……」
「わかってはいるの。わたくしたちは龍が決めた間柄。ジークヴァルト様も、わたくしの扱いに戸惑っていらっしゃるのかもしれない。だから、お互いを尊重し合えるように、ゆっくりやっていけばいい。そう思って今まで頑張ってきたのだけれど……」

 泣きそうに瞳を伏せたリーゼロッテの手を、エラはそっと包み込んだ。

「それでしたら、公爵様にお願いしてみましょう」
「ジークヴァルト様に? 何を?」
「リーゼロッテと、名で呼んでほしいと。怖がることはないと思います。公爵様はおやさしい方ですから」

 穏やかな表情で言うエラを、リーゼロッテは涙をためた瞳で見上げた。

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