寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
 膨らんだスカートが(かかと)の高い靴にひっかかる。地面に両手をついたまま、リーゼロッテは恐る恐る背後を振り返った。

 迎えたばかりの夜の庭を、(ほの)かな明かりが照らし出す。その中に(くれない)の女は立っていた。女の髪を揺らすこともなく、吹く風はただリーゼロッテの脇をすり抜ける。

 ゆっくりと、ゆっくりと、女は勿体ぶったように近づいてくる。笑みを刷いているはずなのに、向けられてくるものは焼け付くような憎悪ばかりだ。

「いや……来ないで……」

 本能的な恐怖だけが支配する。じわりと涙が溢れだした。まだ遠い場所にいる女が、リーゼロッテに片手をかざした。その瞬間、かまいたちのような(やいば)が身を襲う。
 咄嗟のように体を庇うも、腕に頬に、幾筋もの傷が走った。一瞬遅れて血が伝うが、恐怖のあまり痛みすら感じない。わななきながら、リーゼロッテはなおも近づく女を見上げた。

 無意識の中、ドレスのポケットを探る。念のために持ってきた涙の小瓶を開けて、リーゼロッテは震える手つきで振りまいた。

 線状に芝に()かれた涙は、リーゼロッテを守るように緑の力を立ち昇らせる。幻想的に揺らめく壁を、紅の女は何事もなく踏み越えた。
 同時にじゅうと何かが焼けるような音がする。女は笑みを刷いたまま、リーゼロッテの少し手前で歩みを止めた。

 リーゼロッテの意識に同調するように、周囲にいた異形の者たちが恐怖を訴えてくる。感情のすべてを支配するこの戦慄(せんりつ)は、異形のものなのか、自分のものなのか。それすらももう分からない。
 女の唇がいっそうにぃっと弧を描く。ゆっくりとかざされた手のひらは、再びリーゼロッテへと向けられた。

 その手の内に、みるみるうちに禍々しい気が宿る。(きた)る衝撃を覚悟して、リーゼロッテは庇うように手をクロスした。ぎゅっと瞳を閉じているにもかかわらず、(けが)れた灼熱(しゃくねつ)が自分に向けて放たれたのが、手に取るように分かってしまった。
 痛みと熱が近づいてくる。身構えたその瞬間、あたたかい何かが守るようにすぐ目の前に立ちはだかった。

 大きな背が目に入る。

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